切手の豆知識 |
第30回「小判切手」
楕円の外側四隅に、車輪、スクリュー、気球が描かれている 小判切手 左から1876、1877、1877年 |
小判切手とキヨッソーネ 郵便切手の歩みシリーズ 1994年 |
1876(明治9)年から1892(明治25)年にかけて発行された、日本の30種類の普通切手のことを、切手収集家は「小判切手(こばんきって)」と呼んでいる。江戸時代の貨幣である、大判、小判のように高い金額(料金)の切手であったから、こう呼ばれているわけではない。この切手のデザインの中央部分に、小判型の輪郭が描かれていて、その印象から、大正時代には、「小判形切手」と称されるようになったようである。 長方形の枠の中に楕円形が組み込まれたデザインは、明治時代中期、ヨーロッパの各国において、お馴染みのデザインであった。切手をはじめ、各種ラベルや商品パッケージに多数用いられていた流行のデザインであった。それではなぜ、当時流行のヨーロッパデザインが、アジアの東の果ての日本切手にも見られるのであろうか。 「小判切手」以前の日本切手は、切手の印刷原版を一枚一枚、職人が手で掘って作っていた。銅版画のような味わいはあるが、大量生産には向かない、手工芸品のようなものであった。日本は、西洋に追いつけとばかりの、富国強兵・殖産興業の時代である。明治政府は、さまざまな教育・産業の分野で、西洋の近代的な技術を早く学び、手に入れようと、ヨーロッパやアメリカから技術者を招き入れた。いわゆる、お雇い外国人である。紙幣および切手製造においても、印刷産業の先進国ドイツの印刷会社から、この会社に勤めていたイタリア人のエドアルド・キヨッソーネ(Edoardo Chiossone 1833−98)が、指導者として招かれた。彼の指導により、ヨーロッパの精密な印刷方式のエルヘート凸版(ハンダ盛り上げ電胎法凸版)による「小判切手」が誕生したのである。 デザインの特徴は、ヨーロッパ風の楕円構成だけではない。大日本帝国郵便とその英文(IMPERIAL JAPANESE POST)が表記され、欧米の切手のように、どこの国の切手なのかが、はっきりと分かるようになった。また、楕円の外側四隅に、車輪やスクリュー、気球などを描いたものもあり、欧米に近づこうという、この時代の文明開化の風潮、殖産興業政策の機運を感じることができる。 1899(明治32)年に、新しいタイプの普通切手が登場するまでの23年間にわたり、「小判切手」は製造された。この間、印刷技術も進歩し、切手製造に生かされたので、同じ種類・額面の「小判切手」であっても、製造時期の違いにより細かな差異がある。その細かな違いを分析して、分類整理をしている切手収集家も多い。 2005/05/28 |
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