18世紀のヨーロッパにおいて、戦争に従事する将兵が軍隊から故郷に出す手紙は、特別の馬車が仕立てられて運ばれていた。しかし、制度として定められたことではなかった。戦争では、情報伝達手段の確保が、公的私的にかかわらず重要であるとの認識が高まり、前述の取り扱いは、フランスにおいて1831年に制度として確立した。これが軍事郵便制度の最初で、切手による前払いの郵便制度が誕生(1840年のイギリス)する以前のことである。当初は戦争時における制度であったのだが、やがて戦時中でなくても植民地に駐屯している将兵は、この制度を利用できるようになった。そして概ね、通常の郵便料金よりよりも安い料金で差し出すことができた。今日、この時代の手紙は通信文を見なければ、将兵が軍事郵便制度を利用して差し出したものか否か、封筒からはわからない。イギリスやフランスの連合国とロシアが戦ったクリミア戦争(1853−56)あたりから、この制度が整った国においては、軍事郵便を意味する表記が封筒の上に示されるようになったと推察されている。
軍事郵便であることを示す切手のことを、切手収集家は「軍事切手」(Military
Stamps=Military Franchise Issues)と呼ぶ。世界で最初のものについては、諸説があってはっきりしていない。切手による郵便制度が広まった19世紀末から20世紀初頭、イギリスが当時使用していた普通切手に、軍事郵便を意味する文字(ARMY
OFFICIALなど)を加刷して使用しことが明らかになっている。無制限で無料化されていた軍事郵便に、一定の制限を設けるために登場した切手といえる。軍当局が、現地部隊の下士官に対して、1人1ヵ月2通分の「軍事切手」を無償配布したのである。したがって、この切手を貼った手紙は、従来通りに郵便料金免除という優遇処置を受けた。1901年には、フランスもこの方式を採用している(Franchise
Militaire を示す F.M.を切手に加刷)。その後、多くの国がこれに倣い、日本も1910年に採用している。また、加刷ではなく、軍事郵便を意味する文字を表記した切手を製造して用いた国もある。
「軍事切手」は、実際に郵便局で発売されたものではない。国外の戦地や駐屯地に勤務する下士官の優遇処置として支給される、無料で郵便を差し出す権利を行使するための証票である。郵便局で発売される切手とは、その性格が異なっている。なお、第2次世界大戦以後は、世界的にみて、軍事郵便の利用が少なくなっている。フランスが1964年に発行したものが、「軍事切手」の最後と考えられている。これら世界の軍事郵便を解説した本には、柘植久慶著『軍事郵便物語』(中央公論社 1995年)がある。
日本の軍事郵便制度は、1894年の日清戦争に始まると考えられているが、日本の「軍事切手」の登場は1910年のことである。1904〜05年の日露戦争後、中国東北部と朝鮮半島の権益を保持するために、日本軍の部隊がそこに駐屯していた。この部隊の軍事郵便の利用を巡って、郵政当局は無料利用の撤廃を主張し、軍当局は今までと同じ無料利用の存続を求めて対立した。その調整の結果、1910年11月に妥協案ともいうべき制度が誕生し、12月1日から実施されたのである。イギリスと同じく、将校以外の軍人は1人1ヵ月2通分、無料で軍事郵便を差し出せる軍事郵便証票(「軍事切手」のこと)が無料交付された。この証票は、当時の国内封書基本料金に相当する3銭の普通切手に、「軍事」という2文字を加刷したものである。軍部の力が強くなり、軍事郵便の無料取り扱いの範囲が広がる昭和初期以降、この軍事切手のシステムは自然的に消滅した。
日本の「軍事切手」の中で特筆されるものとしては、"青島(チンタオ)軍事切手"がある。1921年、中国の山東半島に駐屯していた日本軍に支給する「軍事切手」の準備が遅れ、現地で臨時に作られたものである。その数は非常に少なく、昔から市場価格が高値(現在、未使用が約160万円、使用済が約80万円)で偽物が多い。
2006/8/1
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