切手と遊ぶ発見ミュージアム

切手旅第4回「秩父夜祭」

切手旅第4回の舞台は、埼玉県の秩父市です。
ご紹介する切手は、1965(昭和40)年発行の「お祭り」シリーズから「秩父まつり」です。
 

1965(昭和40)年発行 「お祭りシリーズ」秩父まつり

秩父ってどんなところ?

 
秩父市は埼玉県の北西部にあり、サツマイモの形に例えられる埼玉県の、左側のヘタ部分に位置します。周囲を山に囲まれた、自然豊かな土地で育まれた歴史・文化は、実に多彩! 秩父神社や三峯神社、秩父札所三十四ヶ所観音霊場などの寺社仏閣も多いですし、大胆で華やかなデザインの絹織物・秩父銘仙は、大正から昭和初期にかけて秩父の基幹産業を担いました。また、蕎麦や天然氷のかき氷、みそポテト、わらじかつなどのグルメも味わえますし、3つの酒蔵とワイナリー、ウイスキーやビールの醸造所があり、お酒好きの方にも人気です。もちろん、長瀞ラインくだりや登山、キャンプ、味覚狩りなど自然と親しむ体験も豊富にあります。
 

武甲山のふもとにピンク・白・紫のパッチワークが広がる、春の羊山公園「芝桜の丘」。4月中旬から5月上旬に約40万株の芝桜が咲き誇ります。(提供先:秩父観光協会)

私は長らく西武線沿線に住んでいるので、自然あり、歴史ありのとても身近な観光地というイメージ。最近は西武鉄道のコマーシャルに人気若手女優が起用され、秩父の魅力がより多くの人に届いているように感じています。
 
冬の秩父を彩る壮麗な「秩父夜祭」
 
秩父の魅力はよく知らなくても、今回の切手図案でもある「秩父夜祭」はご存じの方も多いのではないでしょうか。毎年12月2日、3日に行われる秩父神社の例大祭で、京都祇園祭・飛騨高山祭と並んで、日本三大曳山祭に数えられています。冬の夜空に咲く花火と、ぼんぼりの艶やかな灯りに彩られた笠鉾と屋台の競演が見事で、例年30万人前後の観光客が訪れます。
 

3日の大祭の御旅所には、笠鉾と屋台が集合し、その上にはスターマインなどの花火が降り注ぎます。この絢爛たる光景は、一度見てみたい!と思わせる力があります。 (提供先:秩父観光協会)

笠鉾や屋台は飾り金具や極彩色の彫刻、金糸の入った刺繍の織物などで飾られ、さながら「動く陽明門」。屋台がすれ違う時は双方の屋台囃子や掛け声が入り乱れ、迫力満点です。
(提供先:秩父観光協会)

祭りがこのような形になったのは、江戸中期に秩父神社に立った絹織物の市「絹大市(きぬのたかまち)」の経済的な発展に伴ったもので、その後江戸後期から明治・大正にかけて盛大化し、日本を代表する祭りになったとされています。
しかし、この賑やかな部分だけが秩父夜祭ではありません。むしろこの賑わいは「付けまつり」と呼ばれる、神事に付帯する神賑わい行事とされており、祭りの核の部分は別にあるのです。
 
「十二月三日の夜祭をめぐっては、今でも地元に語り伝えられる微笑ましい神話があります。それが語るには、神社にまつる妙見菩薩は女神さま、武甲山に棲む神は男神さまで、互いに相思相愛の仲であります。ところが残念なことに、実は武甲山さまの正妻が近くの町内に鎮まるお諏訪さまなので、お二方も毎晩逢瀬を重ねるわけにもゆかず、かろうじて夜祭の晩だけはお諏訪さまの許しを得て、年に一度の逢引きをされるというものです。」「秩父神社」HPより引用
 
女性としては、この正妻公認の逢引の日という夜祭の謂れを聞いてしまうと、いろいろな意味でなんだかモヤモヤしてしまいますが、お諏訪さまはきっと年に一度くらいなら目をつぶる度量の持ち主なのでしょう。
この逢瀬のために、妙見さまが神社を出て「御旅所」に向かう祭神出御の神事は、古来の神祀りの形式を伝える重要な伝承祭祀とされています。2日の宵宮の晩に行われる「お諏訪渡り」では、妙見さまが武甲山さまに会いに行く道筋(神幸路)の途中にある、諏訪社(お諏訪さま)に、祭りが行われることを予め報告し、神官が祝詞を捧げます。また3日の晩の神幸行列を先導する笠鉾と屋台も、諏訪社のそばを通過する際には、屋台囃子を止めて静かにする習わしが守られています。
 
こうした古くからの神事をよく伝え遺していることから(※1)、秩父夜祭はユネスコの「無形文化遺産」として指定されているのです。ユネスコといえば、切手旅第3回の「屋久島」では、ユネスコの世界文化遺産について触れましたが、今回の秩父夜祭は2016(平成26)年に「山・鉾・屋台行事」として、無形文化遺産に指定されています。
無形文化遺産は、2003(平成15)年10月にユネスコ総会において採択され、2006年4月より条約発効、2020(令和2)年9月時点で締約国は179ヵ国を数えます。条約の策定段階から積極的に関わってきた日本は2004年6月に条約を締結しており、世界文化遺産条約締結の時の重い腰具合から比べると、比較にならない速さで事を進めています(※2)。
 

4台ある屋台は、張出を付けて芸座を組み立てることができ、年ごとの当番制で歌舞伎を演じます。演じるのは秩父歌舞伎正和会をはじめ、年によっては町内有志、地元の小学生なども。この日のために1年をかけて研鑽を積んでいます。(提供先:秩父観光協会)

屋台は曳行の最中、決められた場所で停止して、長唄を演奏し日本舞踊を舞う曳踊りを行います。屋台囃子が止んで三味線の音が響き、沿道の人々も見入るひとときです。

「山・鉾・屋台行事」は山車の巡行を中心にした日本各地の祭り33件を構成資産としており、いずれも国の重要無形民俗文化財に指定されています。山車(※3)は祭りに迎えた神の依り代となり、地域の安寧や豊作、厄除けなどを祈願します。山車の彫刻や塗、染物、織物などの匠の技や、祭りに伴う唄や囃子、踊りなどは地域住民などで構成される保存会によって維持されてきました。祭りの本来の意味や意義がそこなわれて遊興的な側面だけが残らないよう、そして貴重な伝統工芸技術が失われないようにしていくには、担い手の育成を含め、ユネスコの力を借りて努めていくことが望まれています。
 
※1 さらには、秩父神社のご神体であり武甲山に住まう水神の龍神を、春の御田植祭で迎え、秋の収穫を終えた秩父夜祭で歓送するという、一層古い神事の形式も残しているとされています。
※2 条約では、口承による伝統及び表現,芸能,社会的慣習,儀式及び祭礼行事,自然及び万物に関する知識及び慣習,伝統工芸技術といった無形文化遺産について,締約国が自国内で目録を作成し,保護措置をとること,また,国際的な保護として,「人類の無形文化遺産代表的な一覧表」や「緊急に保護する必要がある無形文化遺産の一覧表」の作成,国際的な援助などが定められています。
※3 山車は、地域により山、鉾、屋台、笠など様々な呼び名があり、多様な形状をしています。
 
秩父まつり会館ならいつでも夜祭を体感できる!
 
例年なら12月の開催ということで、この連載も「秩父まつり直前特集」になるはずだったのですが、新型コロナウィルスの影響により、残念ながら今年は、笠鉾・屋台の巡行の中止が決まりました。これは昭和天皇の容態がすぐれなかった1988(昭和63)年以来、32年ぶりのことだそうです。
お祭りは一年間待たねばなりませんが、秩父神社のすぐお隣にある「秩父まつり会館」なら、お祭り気分をいつでも体感することができます。
 

笠鉾と屋台が実物大で展示されています。間近に見ると山車の大きさがよくわかります。
(写真提供:秩父市観光課)

笠鉾は本来、上の写真(左)のように3層の笠に水引幕を吊り、造り花を放射状に垂らします。しかし、1911(明治44)年に電話線が、1914(大正3)年に電線が笠鉾の順路に架設されたため、本来の姿での曳行はできなくなり、屋形姿で曳いているとのこと。笠鉾・屋台の区別がイマイチつかなかったのですが、展示を見て納得しました。
 

プロジェクションマッピングの映像に包まれると、まるで祭りの会場にいるかのよう。祭りの流れもわかりますし、地元の人の祭りを大切に思う気持ちも伝わってきます。(写真提供:秩父市観光課)

2階展示室では、夜祭に関する様々な資料を、模型を交えて展示してあります。歌舞伎や神楽の衣装や、200人の曳き子で最大20トンもの笠鉾・屋台を曳き上げる団子坂のクライマックスの様子、精細な彫刻の下絵図など、祭りの詳細を学ぶことができます。(写真提供:秩父市観光課)

先代の亀の子石も展示されています。現在のものは御旅所にあり、12月3日には神幸の大幣(妙見さまが御旅所に遷られた証)が背に立てられる神聖なものであり、祭りのシンボルともいえます。
(写真提供:秩父市観光課)

お祭りの喧騒の中にいると、祭りの謂れや様々な所作、最大の見どころなどを見逃してしまいがちですが、秩父まつり会館で予習をしっかりしておけば、そんな心配も無用。秩父夜祭を満喫するためにも、ぜひ来年のお祭りまでに、足を運んでおきましょう。
 
秩父まつり会館
住所:〒368-0041 埼玉県秩父市番場町2-8
HP:http://www.chichibu-matsuri.jp/
 
「お祭りシリーズ」と「秩父まつり」切手ができるまで
 
秩父夜祭の知識を深めたところで、切手発行のいきさつにも触れていきましょう。
秩父夜祭の切手は、「お祭りシリーズ」というシリーズ切手の最後、第4集として発行された切手です。シリーズの最初に発行されたのは岐阜県の「高山まつり」ですが、この切手は郵趣(※1)の世界では“大臣切手”と呼ばれています。
 

1964(昭和39)年4月15日発行
「お祭りシリーズ」第1集 高山まつり

「1964(昭和39)年スタートのシリーズ切手の題材としては、当初、郵政省の事務方では、各地の民俗芸能を取り入れたものを念頭に検討する予定だったようです。ところが、1963年12月、当時の郵政大臣の古池信三が地元の高山(岐阜県)に帰郷し、高山郵便局の起工式に出席したことから、事態は思わぬ方向に動き始めました。
高山では、すでに10年以上も前から高山祭の屋台を切手に取り上げてほしいという運動が展開されていましたが、この運動が中央ではまったくといってよいほど相手にされず、事実上頓挫していました。そこへ、地元選出の国会議員である古池が郵政大臣として帰郷したことから、切手発行運動がにわかに再燃。(中略)年明けの郵政審議会の専門委員会開催前に、大臣の強い意志の下、高山祭の切手発行は既定の路線としてほぼ確定してしまいました。」『切手バブルの時代』より
 
こうした地元出身の大臣の強い力添えによって発行が決まった切手を「大臣切手」と呼ぶのです。その結果、高山祭を第1集とした山車シリーズはどうかという案と、以前から事務方が計画していた民俗芸能シリーズとの折衷案で、各地の祭りの風景を取り上げる「お祭りシリーズ」が生まれたのです。発行に関しては郵政大臣の介入があったものの、切手の出来栄えは悪くなく、評判は良かったそうです。
 

1964(昭和39)年7月15日発行
「お祭りシリーズ」第2集 祇園まつり

1965(昭和40)年7月16日発行
「お祭りシリーズ」第3集 相馬野馬追

シリーズを通して郵政省の木村勝技芸官(※2)が原画を手掛けていることもあり、トーンが安定していて美しい切手ばかり。第3集の相馬野馬追の切手は、単片としては日本初のグラビア5色刷であり、発色の良さと原画の構成力も相まって、収集家の間でも人気を集めました。
シリーズ最後の「秩父まつり」は、1965(昭和40)年の夜祭当日の12月3日に発行されています。こちらもグラビア5色刷、発行枚数は3000万枚でした。
 

1965(昭和40)年12月3日発行
「お祭りシリーズ」第4集 秩父まつり

夜祭の最高潮である笠鉾・屋台と花火の競演を切り取った図案は、実際のお祭りの様子と比べても遜色なし! と同時に、1965年発行の切手と現在を比べても変わりのない祭り風景に、どれだけ地元の方々の尽力があることかと想いが膨らみます。
木村技芸官の原画も公開されています。第一下図の段階ではタテ構図だったようですが、その後ヨコ構図が採用されています。第二校正では、夜空に上がる花火がより華やかに描かれています。なお、スケジュールを見ると、実際に夜祭を見ることなく写真資料だけで描いたことがわかります。それでこの臨場感、流石です。
 

『切手画家 木村勝の遺した資料―戦後切手1962~1984-』より

 
「シリーズ第1集の「高山まつり」がいわゆる大臣切手であったことや、二年間で4種という散発的な発行であったこと、さらには、神田祭や大阪の天神祭り、東北のねぶた(ねぷた)祭りや博多どんたく、長崎くんちなど、日本代表する祭りでありながら切手に取り上げられないものが多く残ったことから、せっかくの好企画を十分に活かすことのできなかった郵政省に不信感を抱く収集家も多かったようです」『切手バブルの時代』より
 
 
この点は、私も同感です。日本には素敵なお祭りがたくさんあるのに、第4集でシリーズ終了とは寂しすぎます。写真ではなく、丁寧に緻密に描かれた原画によるお祭り切手シリーズ、ぜひ復活していただきたいと思います。
 
※1 郵趣とは「郵便趣味」の略語で、切手を集め楽しむ趣味のこと。こうした趣味を持つ人たちを郵趣家と呼びます。
※2 技芸官とは、今の切手デザイナーのこと。芸術に係わる国家公務員には特殊名称があり、郵政省の技芸官、宮内庁の帝室技芸員、大蔵省印刷局(現・国立印刷局)の工芸官の3つがありました。
 
秩父のおすすめの見どころ
 
秩父夜祭は冬の開催ですが、自然豊かな秩父は四季折々に見どころがたくさんあります。池袋から特急で80分というアクセスの良さですから、お祭りの予習を兼ねて、いつでも何度でも遊びに行っちゃいましょう!
まずは秩父夜祭ゆかりのスポットをご紹介します。
 
徳川家康が再建した社殿が見事な秩父神社

神代の創建と伝わる秩父の総鎮守。家康が再建した権現づくりの本殿には、名工・左甚五郎作の「つなぎの龍」をはじめとした数々の彫刻が見ものです。(提供先:秩父観光協会)

切手の舞台となった御旅所

普段はがらんとした広場ですが、12月3日の晩には笠鉾・屋台が集結します。仮設の観覧席が設けられるので、10月中旬に発売される観覧券のお求めをお忘れなく。

秩父鉄道の踏切と奥の団子坂

秩父鉄道の踏切は夜祭の日になると、笠鉾・屋台が通過する時間帯のみ架線が切られます。当然、電車は運休に。また、秩父市の小中学校や秩父鉄道沿線の学校は休校になるそうです。
その奥には祭りのクライマックスの場となる傾斜25度の団子坂。目で見るとそれほどの坂ではないように思いますが、実際に上ってみると勾配のきつさがよくわかります。

続いて秩父の名産や周辺の見どころをご紹介します。
 
大正から昭和初期のモダンガールに大人気だった秩父銘仙

2014(平成26)年発行
「第2次伝統工芸品シリーズ」第3集 秩父銘仙

かつては秩父の基幹産業であり、市民の7割ほどが絹織産業の一端に係わっていたとされています。大胆で華やかな明るい雰囲気で普段使いにほど良く、若い人でもあわせやすい着物です。

一生お金に困らない⁉ 金運パワースポット「聖神社」

2012(平成24)年発行
「IMF・世界銀行年次総会」和同開珎


歴史の教科書に出てきた日本最古の通貨「和同開珎」、皆さん覚えていますか? 708(慶雲5)年に武蔵国秩父郡から純度の高い銅が産出し、これを祝って年号が「和銅」に改められ、日本最初の流通貨幣である「和同開珎」が発行されたのです。この産出地が、秩父市黒谷にある和銅遺跡です。遺跡の近くには「聖神社」があり、金運を授かるパワースポットとして多くの人がお参りに訪れています。
 
長瀞の奇岩を間近に見ながら舟下り

2016(平成28)年発行
「ふるさと切手地方自治60周年」47面シート 埼玉県:長瀞

埼玉県屈指の景勝地として知られる長瀞。特別天然記念物の岩畳をはじめ、秩父赤壁や虎岩などの奇岩を眺めるなら、ラインくだりに乗船するのがおすすめです。川面を滑るように進み、時には水しぶきを浴びるスリリングさがたまりません。長瀞は日本地質学発祥の地としても知られ、秩父地域全体が日本ジオパークにも認定されています。
 
レトロな街並みの黒門通りと番場通り
秩父神社表参道の番場通りとその一本西側の黒門通りは、国の登録有形文化財建造物に指定された、レトロな建物がたくさん残されています。番場通りには飲食店が多く、お土産を買ったり小腹を満たしたりのそぞろ歩きに最適。黒門通りはかつて秩父銘仙が隆盛を極めた頃の問屋街です。秩父の街の歴史を感じることができます。

夜祭らしい風景印をいただきました!

秩父市には郵便局が20局あり、15局が風景印(※1)を配備しています。そのうち6局の図案に秩父夜祭が題材として用いられています。今回は、笠鉾・屋台と夜空に上がる花火をモチーフにした、秩父上町郵便局と秩父野坂郵便局の風景印を郵頼(※2)してみました。

秩父野坂郵便局
秩父夜祭の屋台、仕掛花火、西武秩父駅の図案

秩父上町郵便局
秩父夜祭の上町屋台、花火の図案

祭りの雰囲気を伝える素敵な風景印です。地元のお祭りの感動を、遠くの人にも伝えられる風景印があって、ちょっと羨ましく思います。切手旅も第4回になると、だんだん風景印を集める人の気持ちがわかってきて、私もハマってしまいそうです。
 
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秩父夜祭と秩父の魅力、伝わりましたでしょうか?
私は以前、12月2日の宵宮に伺ったことがあります。地元の方曰く「笠鉾や屋台の巡行や、夜には花火も見られるものの、3日ほど混んでいない穴場の日」なのだそう。秩父神社に参拝し、酒蔵で試飲をしたり出店で買い食いをしたりと街歩きを楽しむ合間に、道で行き交った屋台の曳踊りを観賞、夜は花火を満喫して、祭りの高まるムードと秩父観光の双方を楽しむことができました。
春には芝桜、夏にはラインくだりや天然氷のかき氷、秋は紅葉狩りと、季節に応じてお楽しみがいっぱいの秩父。ぜひ足を運んでみてくださいね。
 
※1 風景印とは消印の一種で、風景入り通信日付印の略称。大きさは直径36ミリ。郵便局のある地域の名所旧跡や特産品、ランドマークなどが描かれています。手紙やはがきを出すときに、郵便局員さんに「風景印でお願いします」といえば、風景印を押して配達してくれます。また、はがき料金(2020年現在は63円)以上の切手を貼ったはがきや封書、台紙を用意して「風景印の記念押印」をお願いすれば、風景印を押して手元に返してもらえます。これを再び投函・郵送することはできませんが、記念品として手元に残すことができるので、風景印を集めることを趣味としている郵趣家もたくさんいます。
※2 「郵頼」とは、文字通り郵便を使って風景印を頼む方法。どこに風景印を押印してほしいのかを記載した指示書とともに、63円以上の切手を貼った台紙(封筒でも官製はがきでもポストカードでも可)と返信用の封筒(宛先と84円切手を貼付)を添えて郵送します。指示書は端的に、明確な文章を心掛けましょう。「〇〇郵便局 風景印押印 ご担当者様」宛で、どこに、どう風景印を押印してほしいのかを図示し、日付の指定があれば明記します。どうして貴局の風景印が欲しいのか、などの細かな理由を長々と記載する必要はありません。「郵頼」の対応は、郵便局員さんが業務の合間に善意でやってくれることなので、わかりやすい指示書が好まれます。
 
【参考文献】
・『切手バブルの時代 五輪・新幹線切手に踊らされた頃 1961-1966』(解説・戦後記念切手Ⅲ) 内藤陽介 日本郵趣出版発行 2005年4月
・『切手画家 木村勝の遺した資料―戦後切手1962~1984-』日本郵趣協会発行 2014年10月
・『郵趣』1965年11月号 日本郵趣協会発行
・『もの知り切手用語集』改訂版第9刷 日本郵趣協会発行 2019年1月
 
【参考ホームページ】
秩父神社
秩父まつり会館
一般社団法人 秩父観光協会
秩父観光ナビ
埼玉のまつり紹介公式サイト「さいたまつり」
オマツリジャパン
秩父市和銅保勝会
ちちぶ銘仙館
一般社団法人 長瀞町観光協会
ジオパーク秩父
文化庁 無形文化遺産
公益財団法人ニッポンドットコム
 
【写真協力】
・秩父市産業観光部観光課
・一般社団法人秩父観光協会
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