切手と遊ぶ発見ミュージアム

切手旅第6回「新潟 弥彦」

切手旅の第6回の舞台は、新潟県の弥彦村です。
ご紹介する切手は、1958(昭和33)年発行の国定公園切手「佐渡弥彦」です。「弥彦山と越後平野」と「外海府海岸と佐渡おけさ」の2種がありますが、今回は「弥彦山と越後平野」をメインに旅をしていきましょう。
 

国定公園切手「佐渡弥彦」から 「弥彦山と越後平野」(1958年発行)

弥彦村で越後の開祖神「おやひこさま」にごあいさつ

 
弥彦村は新潟県のほぼ中央の日本海側に位置し、新潟市・長岡市・燕市と接しています。東西約6km、南北約7kmの正方形に近い形をしており、西には切手にも描かれている霊峰・弥彦山がそびえています。
 

新緑から紅葉、そして雪景色と四季折々の美しさを見せてくれる弥彦山は、
新潟県民にとってふるさとを象徴する山といえます

弥彦は新潟の人々にとっては特別な場所。それは弥彦山麓にある、越後国一宮・彌彦神社を訪ねるとよくわかります。御祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)の曾孫である天香山命(あめのかごやまのみこと)とその子孫6代。
遠く神代の頃、弥彦山の西にある野積海岸に上陸した天香山命は、この地の人々に海水から塩をとる方法、網や釣り針で魚を獲る方法、さらに稲作や酒造りの方法などを教えたとされる産業開祖の神様。その後6代にわたり越後の産業や文化の根幹を築いたため、彌彦神社は万葉の昔から「おやひこさま」の愛称で広く親しまれ(※1)、弥彦はその門前町として栄えてきました。

彌彦神社の広い境内は、「彌彦観光ぼらんてぃあガイド」の皆さんにご案内いただくのがおすすめ。60分ほどで境内をぐるりと回って、本殿を参拝するだけではもったいない、彌彦神社のさまざまな見どころ、拝みどころを楽しく案内してくれます。
 

「津軽の火の玉石(重軽石)」は、願い事を念じながら石を持ち上げ、
軽く感じれば「成就」、重ければ「難しい」というもの。持ち上げてみましたが
「見た目通りくらいの重さ」を感じました。これってどうなんでしょうか???

大正2年に奈良・春日大社から神鹿を譲り受けたのをきっかけに、現在も神鹿を飼育しており、
愛らしい鹿の姿を見ることができます。向かいには日本鶏舎があり、新潟県の天然記念物に指定
されている日本三大長鳴鶏「蜀鶏(とうまる)」をはじめ、貴重な在来種を飼育しています
 
御子孫6神の社殿と御神廟がずらりと並んで祀られています。足を踏み入れた途端、神気がぐっと高まった
気がしました。ガイドさんが御神徳を説明してくれるので、気になった神様をお参りすることができます
 
弥彦山を背にした拝殿は神々しく、自然と手が合わさります。毎年正月三が日には25万人の参拝者数を誇るとされ、「おやひこさま」が越後の人々の心の支えとして崇拝されていることがわかります。弥彦神社の拝礼作法は、出雲大社や伊勢神宮と同じく二礼四拍一礼。別格感を感じる参拝のひとときです。
社務所では、神様ごとのお守りや恋愛成就の絵馬などを授与しています。勝負事、出世、恋愛など願いごとに御神徳のある神様のお守りをピンポイントでいただいていく人が多いそうですよ。
 
格式は高いですが敷居は高くなく、庶民に広く愛されている彌彦神社。毎朝、大神様に米・酒・塩を
ささげてお祈りを奉げる御日供祭(おにっくさい)は、旅行客でも参加することができます
 
せっかく参拝に来たなら、弥彦山の山頂にある奥の宮まで足を延ばしてみましょう。拝殿の脇から万葉の道を歩いて、弥彦山ロープウェイ山麓駅へ。万葉の道は、万葉集に詠まれている草木のうち、弥彦山に自生している78種が植栽されています。「あの歌に詠まれている花って、こんな姿なんだぁ」と、万葉歌の世界に親しみながら歩を進めます。
ロープウェイ山麓駅から山頂駅までは、約5分の空の旅。ハイキングコースもあるので、健脚派は自力で登ってみるのも良いかもしれません。
 
弥彦山山頂からの眺望。晴れた日には日本海に浮かぶ佐渡島も見えます。
反対側は、越後平野や信濃川の眺めが開けます
 
弥彦山の標高は東京スカイツリーと同じ634m。山頂駅からは佐渡島まで見渡せ、眺望抜群です。駅周辺には展望台やレストラン、360度回転する高さ100mのパノラマタワーなどがあり、夕陽や夜景も楽しむことができます。
お目当ての弥彦神社奥の宮は、ここから山道を15分ほど登ります。アンテナ塔がそびえ立つ先に、奥の宮が鎮座しています。彌彦神社の祭神・天香山命と、奥様である妃神・熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)の御神廟が祀られています。
 
奥の宮の御神廟。山頂にありますが訪れる人は多く、信仰の篤さを感じます。天香山命は越後平定の際に、
熟穂屋姫命を二人で暮らしていた熊野に置いてきましたが、恋しくてたまらず越後まで追いかけてきたそうです
 
夫婦仲良く並んで祀られていることから「縁結びの名所」としても知られており、良縁を求めてお参りする人も多いといいます。
眺望を楽しみ、心身ともに清涼な風に洗われたら、おやひこさまのパワーを授かったような気がしました。お願いごとを万全にしたい方は、ぜひこの奥の宮まで足を運んでみてくださいね。
 
縁(えにし)の絵馬がたくさん奉納されていました。丸型でかわいらしく、並んでいるのを
見るだけでも“誰かが誰かを思う気持ち”に触れたようで、気持ちがほっこり和みます
 
※1 万葉集は奈良時代に編纂された、日本最古の和歌集で、彌彦神社を詠んだ歌は「いやひこのおのれ神さび青雲の たなびく日すら小さめそぼふる」「いやひこの神の麓に今日らもか 鹿の伏すらむ 皮服着て角つきながら」の二首が収められています。
 

「弥彦山と越後平野」切手ができるまで

 
さて、弥彦山を眺めて、登って、堪能したあとは、切手発行のいきさつにも触れてみましょう。
前述したように、この「弥彦山と越後平野」は「外海府海岸と佐渡おけさ」と共に、国定公園切手「佐渡弥彦」として1958(昭和33)年8月20日に発行されました。
国定公園とは国立公園に準じる優れた自然の風景地で、自然公園法に基づき環境大臣(当時は厚生大臣)が指定し、都道府県が管理する自然公園です。現在、日本には56の国定公園がありますが、その第一号が1950(昭和25)年に制定された「佐渡弥彦」でした(※1)。
もう少し早くから国定公園切手を発行したかったようですが、先んじて発行されていた国立公園切手がすべて発行されておらず時期尚早とされ、見合わせているうちに制定から8年後となってしまいました。
 
足留めから発行に至るまでの細かなリポートが、郵政省の津留静雄により『切手』286号に紹介されています。ここでは取材や下図決定、原画完成の様子を見てみましょう。
 
(前略)
2月3日、板野郵務局長からこの切手をなるべく早く発行するように指示がありましたので急いで準備にかかることにし、2月6日印刷局に画のグラビア多色刷で2種最低1000万枚印刷できるかを問い合わせましたところ、写真のカラー印刷はまだ無理だが画ならば大丈夫立派なものが印刷出来る自信があると片桐企画室長から知らせがありましたので、翌7日この線に沿って方針が決りました。即日、厚生省国立公園部から参考写真を借り、地元管轄の長野郵政局郵務部と電話で実地踏査の打ち合せをしました。
2月17日朝、長谷部技官(原画作者の郵政省・長谷部日出夫技官)と上野駅を発ち現地に向かいました。途中で長野郵政局武藤周知係長と一緒になり、雪降りの弥彦駅に降りたときは暮れかかっていました。弥彦神社に詣で背後の弥彦山を仰ぎましたが降りしきる雪のため山容がわからず明朝の天候をあてに宿へ引きあげました。翌日は幸い晴れ上がりましたので、白雪に輝く海抜638米の弥彦山、弥彦神社、さらに信濃川大河津分水堰堤一帯まで足をのばして画題を探しました。
(中略)
3月10日、下図を板野郵務局長が新潟出身の田中郵政大臣に見せに行かれたところ、この中から大臣みずから2種選ばれたのが今回発行の構図です。しかし、佐渡の方は、おけさ踊を女性にかえるように大臣から指示がありましたので、新潟局に電話して左側から撮った女性のおけさ踊写真を現地から急送してもらうことにしました。また、弥彦の方にえがいたサギはこの地区に棲息しているかどうか、画面の季節との関係などについて、新潟当局と渋谷の山階鳥類研究所に問い合わせましたが、これでさしつかえないとのことでした(※2)。
(中略)
4月5日原画が2枚完成し、同時に決裁になりました。佐渡地区の画は外海府海岸の北端に近い大野亀と扇岩を北方から眺めたもので、弥彦地区の方は弥彦山と越後米の穀倉地帯越後平野をえがいたものです。
 
 
こんな風に切手を作る段取りが進められていたんですね。この頃は空前の切手ブームのさなかであり、切手に関心を寄せる人が多いからこそ、詳細なドキュメントが公開されていたのでしょう。取材のスケジュールや下図や原画、印刷局や大臣とのやり取りなど、普通は知ることのできない秘話が盛り込まれた『切手』は、貴重な情報源です。
 
採用された下図とは別構図の下図が、『切手』286号に紹介されています。木立から望む弥彦山もすてきですね
 
さて、軌道に乗った後はスピーディーに製作がすすめられた国定公園切手「佐渡弥彦」ですが、実は“大臣切手”第一号としても名を馳せてしまいます。“大臣切手”とは、切手旅第4回の「秩父夜祭」でもご紹介しましたが、地元出身の大臣の強い力添えによって発行が決まった切手のこと。当時、弥彦地区が選挙区であった田中角栄郵政大臣により、足踏み状態だった国定公園切手の発行が決まり、さらにトップを切って「佐渡弥彦」が出されたことは、大臣による地元のための切手発行政策とされ、その後しばらく追随されてしまいました(※3)。
 
ともあれ、佐渡島と弥彦山の美しい風景を切り取った「佐渡弥彦」切手は、1958(昭和33)年8月20日に無事発行されました。本来は、7月中旬発行の予定でしたが、4月発行の切手趣味週間以降の切手の増刷により調整がつかなくなり、8月下旬へと延期を余儀なくされています。2種ともに額面は10円、発行は各2000万枚。「外海府海岸と佐渡おけさ」は赤・黄・青・黒、「弥彦山と越後平野」は黄・緑・青・黒のグラビア4色刷です。
真冬の雪景色の中を取材していながら、仕上がりは田植え後を思わせるうららかな田園風景。新潟の人々の心の中にある、ふるさとの風景をそのまま映したような、心あたたまる一枚だと思います。
 
ところで私、残念ながら佐渡島は未踏の地ゆえ、今回は詳細をご紹介することができませんでした。「外海府海岸と佐渡おけさ」の切手に描かれた外海府海岸の奇岩「扇岩」は、1964(昭和39)年の新潟地震で亀裂が入り、翌65年の高波で崩壊し、今は見ることができません。いつか佐渡島を訪ねた際には、この目で確認してみたいと思っています。
 
国定公園切手「佐渡弥彦」から 「外海府海岸と佐渡おけさ」(1958年発行)
 
※1 1950年に琵琶湖国定公園、耶馬日田英彦山国定公園と並んで、佐渡弥彦国定公園として国内で最初に制定されました。その後1981年に、柏崎市と上越市にまたがってそびえる米山が加わり、現在の佐渡弥彦米山国定公園と改称されました。
※2 切手に描かれたトリについては『テーマ別日本切手カタログVol.5 動物編』で、筆者の芦田貴雄氏(獣医師、元・大阪市天王寺動物園勤務)が、「嘴が曲がっていないのでトキではない。サギ科のコサギ属の1種と思われる」と同定しています。
※3 国立公園、国定公園、年賀切手などで悪しき風習となっていた“大臣切手”の発行は、1970(昭和45)年の第65回国会・衆議院決算委員会おいて、二宮文造議員により追及が行われています。その審議内容は『郵趣』1971年8月号に掲載されています。これ以降、“大臣切手”の発行は行われなくなっていったようです。
 

オリジナリティのあるお土産やグルメがたくさん!

 
では、弥彦の街をぶらり歩きしてみましょう。
弥彦村は、彌彦神社の門前町として、そして北国街道の宿場町として栄えてきました。神社の鳥居前には土産物店や軽食を販売するお店、民芸店、そして弥彦温泉街が広がります。
 
大きな神社にはたいてい門前に名物がありますよね。彌彦神社はというと、ところてんとおでんが有名です。特にところてんは食べ方が変わっており、箸1本で食べるんです。由来は諸説あり、江戸時代の禅僧・良寛が節約を説いたからとか、箸で挟んで切れると縁起が悪いから、などといわれていますが、とにかく伝統的に箸1本とのこと。酢醤油を掛けた突きたてのところてん、なかなか上手くすくえないのですが、ぜひ味わってみていただきたい名物です。あ、もちろん無理せず、難しければ2本で食べてよいそうです。
 
貴方は箸1本ですくえますか? ちょっとしたゲーム感覚も味わえてしまう
弥彦名物ところてん。神社前にずらりと並ぶ商店でいただけます
 
もうひとつご紹介しましょう。今ではあちこちで見かける、油で揚げたそら豆にカレーパウダーをまぶした「カレー豆」、実は弥彦が発祥なんです。新潟県のカレー粉の消費量は全国トップで、カレーラーメン、カレー風味の唐揚げなど、カレー風味のご当地グルメがいくつもあるそうです。元祖である成沢商店さんのカレー豆は香ばしく、甘みのあとにスパイシーな余韻を残します。
 
レトロ感漂うパッケージのカレー豆。後を引く美味しさで、
おやつにもお酒のおつまみにも最適です
 
他にも、『ニッポン全国ご当地おやつランキング』で全国第一位を獲得した「パンダ焼き」、イカやひき肉、ブランド枝豆・弥彦むすめなどを使ったコロッケ「イカメンチ」など、気になるお土産があり、弥彦の街歩きは胃袋にもお財布の紐にも注意が必要です。
 
弥彦村の農家が育てた特別栽培米のコシヒカリ「伊彌彦米(いやひこまい)」や、美味しすぎてほとんど村外には流通しないブランド枝豆「弥彦むすめ」、元祖エディブルフラワーの食用菊「かきのもと」など、弥彦ならではの農産物を探すなら、「おもてなし広場」に行ってみましょう。その季節にしか味わえない弥彦の味覚が並ぶ農産物直売所「やひこ」や地元食材を使った食事が食べられるフードコート、足湯や手湯などがあり、のんびり休むこともできますよ。
 
菊を食す文化は新潟と東北、北陸の一部に限られるそうで、「かきのもと」の歴史は江戸時代まで遡るとか。
苦味やえぐ味は無く食感はシャキシャキ、しかもカラフル! 弥彦で食べて以来、私の好物のひとつとなりました
 
弥彦へのアクセスは、電車だと上越新幹線燕三条駅や、信越本線東三条駅から弥彦線に乗り換えて20分、終点の弥彦駅が最寄りです。弥彦線に乗車する際はひとつ気を付けておいたほうが良いことがあります。それは、越後国でもっとも格式の高い彌彦神社のお膝元にある「弥彦駅」が起点であること。常識的には、燕三条駅や東三条駅から弥彦駅に向かう時が“下り”になりそうですが、弥彦線の場合は逆で、弥彦駅に向かうほうが“上り”になります。乗り換えの時にまごつかないよう覚えておきたい、鉄道トリビアです。
 
この弥彦駅から歩いてすぐのところにあるのが、紅葉の名所として名高い弥彦公園です。13万平方メートルの園内の中央にある「もみじ谷」には約400本のもみじが植えられ、秋には錦絵巻のような美しさ。谷になっているので、様々なアングルから紅葉が楽しめますし、夜にはライトアップも行われます。彌彦神社では日本最大級の菊花展覧会である「菊祭り」も同時期に開催されており、昼も夜も多くの観光客の目を喜ばせます。
 
錦秋(ちょっと手前)の弥彦公園。弥彦観光協会のホームページでは随時色づき状況がアップされます。
春には桜も楽しめるほか、国の登録有形文化財に指定されているトンネルも風情があり人気です
 
最後に、せっかく弥彦を旅するなら、隣接した燕三条エリアにも足を延ばしてみては。
燕三条といえば、金属洋食器の全国シェア90%を占める匠の街。皆さんのご自宅にもきっと燕三条産のキッチンアイテムがあるのではないでしょうか。ちなみに、アップル社のipodの背面カバーの鏡面磨きも、この街の職人さんが手掛けたもの。燕三条を旅すると、いろいろな発見や驚きに出会えます。
旅の始まりに予備知識をつけるのに最適な「燕市産業博物館」や、カトラリーから包丁、調理用品、大工用具、米どころならではのお米や地酒まで販売されている「地場産業振興センター」の見学、鎚起銅器や鏡面磨き、彫金などの匠の技の体験、そしてこの街の職人さんたちの胃袋を支えてきたソウルフード「燕背脂ラーメン」&「三条カレーラーメン」の食べ歩きなどなど、さらに彩り豊かな思い出を増やしてくれることでしょう。
 
ipodの耀きを目指すビアカップの鏡面磨きは、燕三条ならではのレア体験。自分で磨いたビアカップで
飲むビールは格別です。お子様にはスプーン磨きの体験もあるので、親子で楽しめますよ

高度成長期、家族総出で働く工場から出前が殺到したことから生まれた「燕背脂ラーメン」。
伸びにくい極太麺に、汗をかいた体に染みる魚介出汁の濃厚スープ、そして忙しくてすぐに食べられなくても
背脂コーティングで冷めにくい! 職人思いのラーメンは、燕のソウルフードです
 

切手発行とともにリニューアルされた風景印

 
彌彦神社の鳥居とロープウェイ、その向こうに弥彦山を望む、弥彦郵便局の風景印
 
今回は弥彦郵便局から、風景印(※1)を郵頼(※2)でいただきました。この風景印は、国定公園切手の発行と共に図案がリニューアルされた、いわばコラボ風景印です。この頃は切手の原図を描く技官が風景印の図案も描いており、弥彦郵便局は久野実技官が描いたもの。線画調で素朴な雰囲気が、弥彦らしさを醸しています。
 
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弥彦の旅はいかがでしたか?
今朝(1/23)の情報番組の中継で、真っ白に雪化粧した弥彦山と共に、今が旬だという弥彦村特産の原木しいたけ「やひこ太郎」が紹介されていました。肉厚でジューシーで「陸あわび」とも呼ばれているのだそう。遠出がしにくい今は、各地の味覚をお取り寄せで楽しむのも良いですね。
おやひこさまの御神徳にあずかり、皆様の新年が良き年となりますように。次回もお楽しみに。
 
※1 風景印とは消印の一種で、風景入り通信日付印の略称。大きさは直径36ミリ。郵便局のある地域の名所旧跡や特産品、ランドマークなどが描かれています。手紙やはがきを出すときに、郵便局員さんに「風景印でお願いします」といえば、風景印を押して配達してくれます。また、はがき料金(2020年現在は63円)以上の切手を貼ったはがきや封書、台紙を用意して「風景印の記念押印」をお願いすれば、風景印を押して手元に返してもらえます。これを再び投函・郵送することはできませんが、記念品として手元に残すことができるので、風景印を集めることを趣味としている郵趣家もたくさんいます。
※2 「郵頼」とは、文字通り郵便を使って風景印を頼む方法。どこに風景印を押印してほしいのかを記載した指示書とともに、63円以上の切手を貼った台紙(封筒でも官製はがきでもポストカードでも可)と返信用の封筒(宛先と84円切手を貼付)を添えて郵送します。指示書は端的に、明確な文章を心掛けましょう。「〇〇郵便局 風景印押印 ご担当者様」宛で、どこに、どう風景印を押印してほしいのかを図示し、日付の指定があれば明記します。どうして貴局の風景印が欲しいのか、などの細かな理由を長々と記載する必要はありません。「郵頼」の対応は、郵便局員さんが業務の合間に善意でやってくれることなので、わかりやすい指示書が好まれます。
 
【参考文献】
・『切手趣味』第46巻第2号 切手文化会発行 1958年2月
・『切手趣味』第47巻第1号 切手文化会発行 1958年7月
・『切手』285号 全日本郵便切手普及協会発行 1958年8月3日
・『切手』286号 全日本郵便切手普及協会発行 1958年8月10日
・『切手』290号 全日本郵便切手普及協会発行 1958年9月7日 
・『郵趣』1971年8月号 日本郵趣協会発行
・『日本切手専門カタログ1980』日本郵趣出版発行 1979年11月 
・『風景入通信日付印集』全日本郵便切手普及協会 1980年11月
・『年賀切手』(解説・戦後記念切手 別冊) 内藤陽介 日本郵趣出版発行 2008年12月
・『ビジュアル日本切手カタログ Vol.2 ふるさと・公園・沖縄切手編』日本郵趣協会発行 2013年10月
・『もの知り切手用語集』改訂版第9刷 日本郵趣協会発行 2019年1月
・『テーマ別日本切手カタログ Vol.5 動物編」芦田貴雄監修・執筆 日本郵趣協会発行 2019年7月
 
【参考ホームページ】
弥彦観光協会WEBサイト「弥彦浪漫」 http://www.city.oga.akita.jp/
越後一宮彌彦神社 http://www.yahiko-jinjya.or.jp/
一般社団法人燕市観光協会 https://tsubame-kankou.jp/
 
【写真協力】
・弥彦観光協会
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