切手旅第10回は、三重県の熊野古道をご紹介します。
お供の切手は、1999(平成11)年発行のふるさと切手三重版「みえ東紀州『熊野古道』」です。
熊野古道ってどんな道?
熊野古道は、切手旅第9回「奈良 吉野山」でも触れた「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されています。三重県・奈良県・和歌山県にまたがるこの世界遺産は、「熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)」「吉野・大峯」「高野山」の3つの霊場と、これらを結ぶ「熊野参詣道(熊野古道)」「大峯奥駈道」「高野参詣道」から構成されます。
世界遺産シリーズ第1集「紀伊山地の霊場と参詣道」(2006年発行)より、熊野本宮大社本殿(第三殿と第四殿)
神仏習合の熊野信仰の「熊野三山」、修験道の「吉野・大峯」、真言密教の「高野山」の3霊場が、紀伊山地の深い森の中に根差していることは、古来この地が神秘を備え、険しい自然が修行の地として最適であった証といえるでしょう。
特に、熊野三山は古代から中世にかけて信仰を集め、時の上皇らが100回以上も参詣をしたことにより街道が整備され、宿が生まれ、文化的景観が形成されていきました。やがて3つの霊場をつなぐ道もでき、貴賤を問わず多くの人々が熊野を目指し、参詣旅は室町時代と江戸時代にブームを極めます。巡礼者が蟻の行列のように連なって熊野を詣でる光景を称して「蟻の熊野詣」と言われるようになったのも、この頃のことです。
世界遺産シリーズ第2集「紀伊山地の霊場と参詣道」(2007年発行)より、熊野参詣道中辺路 箸折峠の石仏「牛馬童子」。
花山法皇の熊野詣の旅姿を模しているとされ、中辺路のシンボル的存在です。
京都・大坂・和歌山から田辺まで紀伊半島を西回りする「紀伊路」や、田辺から山中に入り熊野本宮大社に向かう「中辺路」は、都から利便が良く法皇や上皇、女院など高貴な方の御幸ルートとされ、道筋には熊野権現の末社である九十九王子社が祀られています。熊野古道としてよく紹介される代表的なルートです。
ほかに、田辺からさらに半島をまわりこんで那智勝浦に至る「大辺路」、高野参詣道から本宮大社を目指す「小辺路」、そして前回ご紹介した吉野・大峯からの「大峯奥駈道」があり、様々な方角から熊野三山を目指して道が築かれたことがわかります。
和歌山県の熊野古道と熊野三山については、今後の切手旅でご紹介する予定もありますので、その時のまでのお楽しみとして、今回はもうひとつの主要ルートである三重県側の熊野古道「伊勢路」にスポットを当てましょう。
「伊勢路」は伊勢神宮から紀伊半島の東部を南下して、熊野三山へと至ります。「伊勢へ七度(ななたび)、熊野へ三度(みたび)」とうたわれた信仰の道として、江戸時代以降に盛んに歩かれるようになりました。当時大流行したお伊勢参りから、さらに熊野へと足を延ばす旅人も多かったそうで、『東海道中膝栗毛』にも登場しています。その健脚ぶりも驚きですが、庶民にとっては一生一度の大旅行。今とは気合も違ったのでしょうね。御幸道である「紀伊路」「中辺路」に対して、「伊勢路」は熊野参詣をはじめ、お伊勢参りや西国三十三カ所巡礼の旅人も利用した、庶民の道と言われています。
伊勢路の松本峠。激しい降雨にも木の根にも負けない石の道が、旅人を熊野三山へと誘います
古代から多くの人の信仰を集めた3霊場。様々な思いを抱え、幾多もの険しい峠を越えていにしえびとが歩いた参詣道を、いま私たちが同じように歩くことができる奇跡! 世界遺産に登録されている“道”は、スペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」とこの「紀伊山地の霊場と参詣道」のふたつだけということを考えても、巡礼や参詣のもつ力について考えさせられますし、それだけ稀有な道といえるのではないでしょうか。
ふるさと切手三重版「みえ東紀州『熊野古道』」ができるまで
まずは報道資料を見てみましょう。
1999年4月16日発行 ふるさと切手(東海・三重)
名 称 みえ東紀州「熊野古道」
種 類 80円郵便切手(4種連刷)
意 匠 ①ツヅラト峠(春)②松本峠・浜街道(夏)③馬越峠(秋)
④通り峠・千枚田(冬)(左から)
印面寸法 縦33.0mm・横22.5mm
版式・刷色 オフセット5色(紫味赤、明るい青、暗い灰、黄色及び明るい緑味青)
4種連刷のふるさと切手の多くが、四季の景観を切り取っていることが多いですが、この三重版も熊野古道の名所を季節ごとに描いています。伊勢からの行程的には馬越峠が先で、松本峠が後になるのですが、季節との兼ね合いでこの順になったのでしょうか。確かに海景色は夏が良いですよね。
原画を描いたのは、紀南高等学校美術教諭の新谷武文さん。当時の朝日新聞三重版に新谷さんの記事が掲載されています。
地元画家の絵、切手に 東海郵政局ふるさとシリーズ
県立木南高校の美術教師、新谷武文さん(四三)=熊野市井戸町=が描いた熊野古道の風景が、東紀州体験フェスタにあわせ、「ふるさと切手シリーズ」として、東海郵便局から発行され、好評だ。熊野古道の自然の四季折々の表情が描かれている。何度も熊野の自然を絵の題材に取り上げている新谷さんは「熊野古道の自然のすばらしさを、一人でも多くの人に知ってもらえれば」と期待している。
自然描いて好評/まちおこしに一役
(中略)東海郵政局によると、一九九八年六月、東紀州体験フェスタにちなんだ記念切手を発行しようという話が、県や東紀州の市町村、郵便局から持ち上がった。著名な画家やイラストレーターに描いてもらっても、地元の人は喜ばない。せっかく発行するなら、地元の画家に描いてもらおうと考え新谷さんを選んだ。
新谷さんは熊野市生まれ。大阪芸大を卒業後、約二十年間、県内の高校で美術を教えてきた。自らも熊野の風物、精神性をテーマにした油絵を描き続けている。
東海郵政局から切手の依頼をされたのは、九八年九月ごろ。何日間も古道を歩き、スケッチを繰り返した。十二月には、デザインが決まった。「切手の図柄を見て、ぜひ熊野へ行ってみたい、という気持ちを抱いてもらえるような絵にしたかった」と話す。
(中略)「一人の絵かきとして、熊野のために何ができるかを常に考えている」。今回の切手の仕事も、少しでもまちおこしにつながれば、と引き受けた。「熊野の自然の本質は『心のいやし』だと思う。熊野の精神性を題材に絵を描き続け、自分なりの熊野イズムを探したい」と意気込む。(『朝日新聞三重版』1999年5月15日より)
あえて著名な人を使わず、地元愛のある地元画家を選んだからこそ、絵の奥に熊野の神髄を感じるような原画が描けたのでしょうね。切手を眺めていると、古道を渡る風、鳥や虫の声、空気のにおいまでもがよみがえってくる気がします。
ところで、この4種のうちの「通り峠・千枚田」の切手は、「切手旅」が始まるきっかけとなった切手でもあるんです。
切手に描かれた熊野市の「丸山千枚田」。棚田が好きで全国あちこち見てきた私ですが、
ここの棚田は本当に美しくてダイナミック!(写真提供:三重フォトギャラリー)
昨年5月、緊急事態宣言中に博物館事務室で、「今年の田植えは人手不足で農家が困っている」というニュースについて、主任学芸員と話をしていた時のこと。棚田好きの私が、苗を植えたばかりの水田の美しさなどについて力説しながら、私の推し棚田である熊野の「千枚田」の画像をスマートフォンで見せると、主任学芸員が「同じ風景が切手になってるよ」というではありませんか!
そうして考え付いたのが、切手に描かれた場所を旅する「切手旅」です。コロナ禍で旅に出づらい状況があとどれくらい続くのかわかりませんが、切手の中の風景を楽しんでほしいと願っています。
発行に関してとりわけ多くのエピソードがあるわけではない切手ですが、皆さんにもそれぞれに思い入れの深い切手があるかと思います。アフターコロナには、この切手旅のように、好きな切手に描かれた場所を旅して欲しいなと思っています。
古道をたどり、棚田を眺め、昔の旅人気分を味わおう
それでは、熊野古道「伊勢路」へと歩を進めましょう。
「伊勢路」の全長は伊勢神宮から熊野三山まで約170km。変化に富んだ多彩なルートが多く、私は歩くたびに“昔の旅人に出会える過去への旅の道”のようだと感じています。特に石畳が敷かれた道は、向こうから巡礼装束のいにしえの旅人が今にも現れそうな風情があります。
伊勢路「馬越峠」。この石畳を一歩一歩踏みしめながら、私もまたいつしか「いしにえの旅人」と
呼ばれるようになるんだなぁ、と思うと感動もひとしおです(写真提供:東紀州観光手帖)
この石畳の道も「伊勢路」の特徴で、和歌山県側の熊野古道に比べると数多く残されています。これはこのルートの気候と関係しています。古道が通る三重県尾鷲市は、日本屈指の多雨地帯。激しい雨に耐え、道が崩れないように石を敷き込んだ、先人の技術の結晶を見ることができます。
起点は、伊勢神宮にほど近い城下町・田丸。ここで旅人は巡礼装束に着替え、熊野を目指しました。切手になった4ヵ所はいずれも伊勢路のハイライトと呼べるポイントばかり。さっそく、見どころ歩きどころをご紹介します。
ふるさと切手三重版「みえ東紀州『熊野古道』」の1枚目のツヅラト峠は、現在は三重県大紀町と紀北町の町境ですが、かつては「伊勢の国」と「紀伊の国」の国境の峠でした。江戸中期の8代将軍吉宗の時代に紀州藩による街道整備が行われ、より東を通る高低差の緩い荷坂峠が正式な紀州への玄関口と定められました。
ツヅラト峠のツヅラトとは九十九折のこと。眼前に見える山を越えて、熊野を目指します
旧道にはなったものの、利用する人が多かったせいか、今なお、山を縫うように良好な石畳や石垣が残り、風情満点。また、伊勢から来た巡礼者は、ここで初めて紀州の海を目にします。山並みの向こうに蒼く光る海の絶景に、苦しさも吹き飛ぶ思いだったのではないでしょうか。
ツヅラト峠から海を臨みます。楽なのは荷坂峠ですが、この爽快感はツヅラト峠ならでは。
どちらを通るか悩みます(写真提供:東紀州観光手帖)
道順に紹介していこうと思いますので、つぎは3枚目の馬越峠へ。伊勢路のなかで、最も美しいと評される石畳が残っているルートです。紀北町と尾鷲市の境にあり、雨に負けないよう自然石を緻密に敷き詰めてあり、「絶対に崩れさせない」という先人の気迫さえ感じます。
個人的には雨にしっとりと濡れた石畳が好きですが、切手では秋の木漏れ日を浴びた石畳が描かれています。旅人にとっては、激しい雨より穏やかな晴れの方が良いに決まっていますね。
切手の馬越峠(上)と実際の馬越峠(下)、ほぼ同じですね。江戸時代から変わらないのだから、数十年で様変わりすることは
ありませんが、大切に守り継いでいく気持ちは忘れないようにしたいですね(写真提供:三重フォトギャラリー)
続いて松本峠へ行く前に、途中にある波田須の道もご紹介しましょう。熊野市波田須は、秦の始皇帝に命ぜられ不老不死の仙薬を探し求めて渡来した、徐福伝説が残る場所。この地に上陸し「天台烏薬」を発見しましたが、熊野の気候風土、風景の美しさ、人々の温かさに惹かれ、中国に戻ることなく永住したと言われます。農耕や土木、捕鯨や製鉄などの高度な生活技術を土地の人に伝えたとされ、徐福の宮で今も大切に祀られています。そんな異国の賢人の伝説が残る波田須の古道は、伊勢路の中でも最も古い、鎌倉期の石畳が残されています。
波田須の道。手前が鎌倉時代の石畳、奥が江戸時代の石畳です。こんなにも違うものかと驚きです
鎌倉時代には石工の技術がまだ発達していないので、大きく長い自然石が据えられています。それに比べると江戸時代の石畳は形が揃い、隙間なく敷かれており、その差は歴然。こうした時代による技術の変化が見られるのも、伊勢路ならではのおもしろさ。と、同時に、どれだけの数の旅人が、どんな思いでこの石を踏みしめて行ったのか…、時空を超えて思念が重なり合う、想像が尽きない道でもあります。
では、松本峠と浜街道に進みましょう。
熊野市の松本峠は、馬越峠と並んで初心者にも歩きやすい人気のルート。ほとんどの部分が石畳で、どこで撮ってもフォトジェニックな風景が記念に残せます。
峠には妖怪と間違われて撃たれたお地蔵さまが鎮座し、足元に鉄砲らしき傷跡を見ることが
できます。建立した日に撃たれるとはお地蔵さまもお気の毒です
松本峠の石畳も美しいですが、4連刷の切手に変化を付けるために、石畳ではなくこの景色にしたのでしょうか。
いよいよゴールの新宮までを見渡すことができ、ラストスパートに向けて気持ちが高ぶる瞬間です
峠を越えていくだけではもったいないので、ぜひ東屋に足を延ばして、
切手になった景色を見ていきましょう(写真提供:三重フォトギャラリー)
峠から10分ほどの東屋からは、切手に描かれたままの七里御浜が見渡せます。あとはこの海岸沿いの浜街道を約25Km歩けば、熊野速玉大社のある新宮へ到着です。非常に清涼で励みになる眺望ですが、川を渡ったり、海岸沿いを歩いたりするルートは、転落や波にさらわれるなど常に命を落とす危険と隣り合わせ。峠の山越えを終えてもなお、最後まで巡礼の道は厳しいのです。
熊野速玉大社を詣でたのちは、さらに熊野本宮大社、熊野那智大社を目指して、人々は旅を続けました。
松本峠の海側には、隆起と風化、浸蝕による自然の造形美が楽しめる名勝天然記念物の「鬼ヶ城」、高さ25mの獅子の姿をした巨石で名勝天然記念物の「獅子岩」、長さ約22kmの日本一長い砂礫海岸である「七里御浜」、イザナギノミコトが葬られたとされる高さ45mの奇岩を祀る「花の窟神社」と、世界遺産の登録地が連列しています。ぜひ、古道歩きを一休みして、世界遺産も堪能しましょう。
七里御浜と獅子岩。夏にはこの海で行われる花火大会が風物詩となっていますが、
昨年と今年は中止に。来年こそは再開できますように(写真提供:東紀州観光手帖)
花の窟神社のあたりで、伊勢路は二手に分かれます。一方は前述した七里御浜を通る浜街道、そしてもう一方が、山中に入り本宮を目指す本宮道です。この本宮道を進んで通り峠を越えると、私の大好きな棚田「丸山千枚田」があります。正式な世界遺産登録地ではないのですが、まさしく伊勢路の見逃せないスポットのひとつです。
切手4枚目の通り峠・千枚田では冬の雪景色が描かれていますが、四季折々の風景が非常に美しく、いつ訪れても目を楽しませてくれる場所です。
伊勢路エリアの冬は比較的温暖なため、雪景色はレアな風景かもしれません
こちらは田植えを迎えた千枚田。私は早春と田植えの時期に訪問しましたが、
初夏や実りの時期も美しい景色が楽しめるそうです
日本一の棚田ともよばれる「丸山千枚田」は、現在約1340枚の田が山の斜面に連なっています。歴史は古く、江戸時代の初めには2200枚を超える田が作られていたという記録があります。しかし過疎化・高齢化などで減少していき、平成の初め頃には530枚にまで減ってしまったといいます。それを受けて1993年に丸山地区の住民全員が参加し、「丸山千枚田保存会」を結成し、荒れた棚田の復田に努めてきました。
重機が入らない棚田は、すべてが手作業です。私も少しだけ田植えを体験させてもらいましたが、腰がつらい!
それでも顔を上げればこの絶景。やっぱり棚田オーナーへの夢は諦めきれません!
田んぼ1枚の平均面積は約10坪と小さく、作業の多くは手作業。中には苗3本の田んぼも! 1996年からは、丸山千枚田のオーナー制度を導入し、全国から毎年100組を超える棚田ファンがオーナー登録し、地域住民との新たなつながりを育んでいます。私もいつかは棚田オーナーになり、お米作りに励みたいと思っています。
さて、古道を歩いて、そろそろお腹もすいてきたはず。最後に、お米を使った熊野名物の郷土料理「めはり寿司」をご紹介しましょう。
熊野特産の高菜でご飯をくるんだもので、その名の通り、大きさと美味しさに「目を見張って食べる」ことに由来し、江戸中期の歌舞伎「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」には、熊野出身の女性の好物として描かれています。
鮮やかな緑の青菜で包んだ「めはり寿司」。ご飯を固く握らず、ふわっと握るのが美味しく作るコツです
3日ほど塩漬けした大ぶりの高菜の葉で、白米や酢飯、高菜の茎を刻んでおかかと混ぜたごはんなどを包んだもので、家庭により中身は様々。地元の方はおにぎり感覚で親しんでいて、熊野市内のコンビニやお弁当屋、食堂など、あちこちでいただくことができます。土産物店では、大きな葉の高菜漬けがレトルトパックで買えるので、気に入れば自宅で作ってみても。私はお酒を飲んだ後の締めに、少し小ぶりに握った「めはり寿司」を食べるのが好きでして、熊野に行けば必ずレトルトパックの高菜を買い込んでいます。
ご興味のある方、ぜひお試しくださいね。
獅子・鬼・熊…なんだか強そうなイメージの熊野郵便局の風景印
獅子岩と鬼ヶ城が描かれた熊野郵便局の風景印
今回の風景印(※1)は熊野郵便局から、郵頼(※2)でいただきました。
太平洋に向かって咆哮する獅子岩の背後に鬼ヶ城が描かれた図案です。
獅子、鬼、熊の文字の文字が並ぶといかつい荒々しいイメージですが、観光パンフレットなどでもおなじみの熊野市の代表する絶景が風景印になっています。今回のふるさと切手三重版発行の際には、初日印の1種としても使われました。
第1次国立公園切手「吉野熊野国定公園」(1949年発行)4種のうちの一枚、
2円獅子岩。前出の獅子岩の写真と同じ構図ですね
一帯は「吉野熊野国立公園」に指定されており、前回の切手旅でも掲載した戦後初の第1次国立公園切手「吉野熊野国定公園」(1949年発行)では、獅子岩が切手になっています。
今回は石畳の道が描かれた風景印だと良かったのですが、図案に採用している郵便局がなく、とても残念。こんなふうに「絶対、風景印になっていると思ったのに、無い…」ということもしばしばありますが、切手にぴったりとあう風景印があったときの気持ちよさ(笑)を求めて、これからも風景印をご紹介していきたいと思います。
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熊野古道「伊勢路」の旅はいかがでしたか? 歩く際には「熊野古道伊勢路語り部友の会」の語り部さんを予約して一緒に歩くと、より詳しく楽しく歩けるのでオススメです。私も毎度、お願いしています。石畳と棚田の美しさは格別ですし、山あり海ありで、ファミリー旅にもぴったり。お子さんと一緒に自由研究を兼ねて世界遺産を歩く、なんていう夏休みも良いかもしれませんね。風景印集めもお忘れなく!
※1 風景印とは消印の一種で、風景入り通信日付印の略称。大きさは直径36ミリ。郵便局のある地域の名所旧跡や特産品、ランドマークなどが描かれています。手紙やはがきを出すときに、郵便局員さんに「風景印でお願いします」といえば、風景印を押して配達してくれます。また、はがき料金(2020年現在は63円)以上の切手を貼ったはがきや封書、台紙を用意して「風景印の記念押印」をお願いすれば、風景印を押して手元に返してもらえます。これを再び投函・郵送することはできませんが、記念品として手元に残すことができるので、風景印を集めることを趣味としている郵趣家もたくさんいます。
※2 「郵頼」とは、文字通り郵便を使って風景印を頼む方法。どこに風景印を押印してほしいのかを記載した指示書とともに、63円以上の切手を貼った台紙(封筒でも官製はがきでもポストカードでも可)と返信用の封筒(宛先と84円切手を貼付)を添えて郵送します。指示書は端的に、明確な文章を心掛けましょう。「〇〇郵便局 風景印押印 ご担当者様」宛で、どこに、どう風景印を押印してほしいのかを図示し、日付の指定があれば明記します。どうして貴局の風景印が欲しいのか、などの細かな理由を長々と記載する必要はありません。「郵頼」の対応は、郵便局員さんが業務の合間に善意でやってくれることなので、わかりやすい指示書が好まれます。
【参考文献】
・『郵趣』1999年4月号 日本郵趣協会発行
・『郵趣ウィークリー』1999年3月5日・10号 日本郵趣協会発行
・『切手』2407号 全日本郵便切手普及協会発行 1999年4月10日
・『もの知り切手用語集』改訂版第9刷 日本郵趣協会発行 2019年1月
・『風景印大百科 1931-2017 西日本編』日本郵趣出版発行 2017年5月
・「地元画家の絵、切手に」『朝日新聞三重版』 1999年5月15日
・「ふるさと切手の発行」『郵政省報道資料』 1999年2月26日付
【参考ホームページ】
三重県観光連盟公式サイト「観光三重」 https://www.kankomie.or.jp/index.html
一般社団法人東紀州地域振興公社「東紀州観光手帖」 https://kumanokodo-iseji.jp/
熊野市観光公社 http://kumano-kankou.com/
三重県立熊野古道センター https://kumanokodocenter.com/
和歌山県・熊野エリア観光 KUMANO-WAKAYAMA- https://www.kumano-area.jp/
東紀州ほっとネット http://www.kumadoco.net/
和歌山県世界遺産センター https://www.sekaiisan-wakayama.jp/
丸山千枚田 https://www.maruyamasenmaida.jp/
【写真提供】
三重フォトギャラリー
一般社団法人東紀州地域振興公社「東紀州観光手帖」