切手と遊ぶ発見ミュージアム

切手旅第15回「滋賀 草津」

切手旅第15回の舞台は、滋賀県の草津市です。
ご紹介する切手は、2007(平成19)年発行の「国際文通週間」切手の「草津」です。「国際文通週間」切手は、切手旅第2回「東京 日本橋」でもご紹介しましたね。
 

国際文通週間切手「草津」(2007年発行)

草津ってどんなところ?

 
「草津」と聞くと、関東の人などは群馬県の草津温泉を思い浮かべてしまうという方もいらっしゃるかもしれませんが、滋賀県南部に位置する草津市が今回の舞台(ちなみに群馬県草津町とは友好都市だそうです)。古くから陸運・水運の交通の要衝であり物資の集散地として栄え、戦国武将が一目置く重要な地でした。さらに江戸時代に入り五街道が整備されると、東海道と中山道の分岐・合流の宿場として、大いに発展しました。東海道でいうと、日本橋から52番め、京都(京師)からは2番めの宿場です。
 
分岐点にあるマンホールは「東海道 中山道 分岐点 慶長七年」と表記されていました
 
宿場町の様子はのちほどじっくりご紹介しますが、なんといっても草津宿の顔は、日本最大級の規模を誇る草津宿本陣。江戸当時2軒あった本陣のうち、「田中七左衛門本陣」が現存しています。1635(寛永12)年に本陣職を拝命し、1870(明治3)年に宿駅制度が廃止になるまで、約240年も本陣職を勤めました。
 
草津宿本陣。急に江戸時代にタイプトリップしたかのような、美しい外観です(画像提供:草津宿街道交流館)
 
建物や敷地はもちろん、当時を伝える様々な文物も良く残されていて、1949(昭和24)年に国の史跡に指定されています。街道歩き好きを自負する私、あちこちの本陣や脇本陣を見てきましたが、草津宿の本陣の大きさ、立派さには大変驚きました。もとから重要な宿場であったことに加えて、明治以降も建物が大きく損なわれることなく、大切に使われてきたんですね。
街道を歩くと江戸の面影がそこここに垣間見られ、現代と過去が違和感なく一体化しているのは、良い宿場町の証といえるでしょう。
 
宿場町の風景。江戸時代と現代の建物が調和し、日常風景となっています。こんな街に住んでみたいです
 
そんな草津は、現在でも滋賀県の中心的な役割を果たす街として発展しており、人口は大津市に次いで県下2位、JRの乗降客数は市内の南草津駅と草津駅が県下1位、2位を占めています。
また、琵琶湖畔の烏丸半島にある「琵琶湖博物館」は、世界有数の古代湖である琵琶湖の歴史や、人と生き物の関わりなどが学べる総合博物館で、科学系・人文系の展示に、水族展示が加わった、見どころ満載の施設です。遠方からでも足を運ぶ価値のある、私も大好きな博物館です。
 
琵琶湖の400万年にわたる歴史が学べるA展示室(画像提供:琵琶湖博物館)

ビワコオオナマズやビワマスなど、琵琶湖の固有種を見ることができる水族展示室
(画像提供:琵琶湖博物館
 
滋賀の地理があまりピンとこない方もいらっしゃるかもしれませんが、JR京都駅から草津駅までは新快速で20分ですので、京都観光のついでに足を延ばすのもオススメです。
 

61年かけて国際文通週間切手「東海道五拾三次」の発行が完了!

 
冒頭でも触れましたが、今回の「国際文通週間(International Letter Writing Week)」という特殊切手シリーズについては、切手旅第2回「東京 日本橋」でもご紹介しました。
当初は1回限りの発行予定でしたが、製作段階で特殊切手シリーズとすることが決まり、1958年に歌川広重の保永堂版東海道五拾三次「京師」が最初に発行されました。以降59年「桑名」、60年「蒲原」、61年「箱根」と続き、62年に「日本橋」が発行され、人気を博しつつも全5回の広重の東海道シリーズは終了となりました。その後は、葛飾北斎の冨嶽三十六景が7年続き、以降、錦絵や日本画、伝統工芸品、絵巻物・屏風など、様々な日本らしい題材が採用されています。
 

東海道五拾三次「京師」24円(1958年発行)

「国際文通週間」の目的は、国境を越えて交換される郵便を用いて、お互いの思想や生活に関して相互理解と知識を深め、国際平和の実現と自らの教養を高めることであるため、国際間の郵便に用いられることを前提として、額面は外国郵便用になっています。
発行当初の1958年は24円、1959~1960年は30円、1961~1965年は40円、1966~1975年は50円と、年々値上げされた外信船便書状料金に応じています。
 

与謝蕪村「鳶烏図」100円(1976年発行)

1976年からは、外信航空便の書状料金に変更されましたが、航空便は地帯によって料金が異なるため、第1地帯宛の額面1種(1976~1980年は100円、1981~1986年は130円)のみの発行になっています。1987年からは第2地帯宛130円と第3地帯宛150円の2種、1988年からは第1地帯宛80円と第3地帯宛120円の2種が発行され、第1~3地帯までの全地帯に対応した切手3種の発行は1994年からのことでした。
 

歌川国政「岩井粂三郎の千代」80円/歌川豊国「三世市川高麗蔵の佐々木巌流」120円
( 1988年発行)

士女遊楽図屏風より「双六」90円(1994年)

また、2013年からは航空便のはがき料金(世界各国共通)である70円切手、さらに2018年からは国内第二種郵便物料金額63円との差額分の7円切手がラインナップされ、2021年現在は7円、70円、90円、110円、130円の5種が発行されています。
切手の世界に足を踏み入れる前から、「国際文通週間」切手は綺麗で日本らしい図案が多いので買うことがあったのですが、額面の意味を知らず疑問を抱えたまま使っていました(恥ずかしい限りです)。

そして、東海道五十三次のうち5宿だけ切手になって、残りは発行されないままか…ととうに諦めもついた1997年、突然に「亀山宿」が取り上げられます(※1)。「これはもしや?」と収集家や東海道ファンの心をざわめかせたのち、2000年に完全復活、以降数年を除き恒例の題材となりました。
 

歌川広重 東海道五拾三次「亀山」(1997年発行)

歌川広重 東海道五拾三次「関」(2019年発行)

 
そして、2019年、無事全55種の東海道五拾三次が発行完了となり、2020年には額面70円で揃えた55種の切手シートも発行されました。
歴代の国際文通週間切手を総ざらいしてみるとそうそうたる名画のオンパレードであり、国際郵便の料金変遷も知ることができて、美術と郵便史の勉強になりました。一覧はこちらをご覧ください。
 
さて、では今回の主役の「草津」はというと、2007年に発行されています。額面は130円でオフセット5色刷、発行枚数は600万枚で、切手デザイナーの玉木明氏のデザイン。同時に発行されたのは「保土ヶ谷」90円と「荒井」110円です。
 

歌川広重 東海道五拾三次「草津」(2007年発行)

前年の2006年は国際文通週間と国連加盟50周年を兼ねた発行となり、浮世絵図案は採用されず、また利用も少ないからということで130円切手は発行されなかったのですが、2007年は元に戻り、3種発行となりました。
原画の浮世絵には「名物立場」という題が付けられており、草津名物の「姥が餅屋」の賑わいと、その前を人足と早駕籠が行き交う様子が描かれています。画面右の店の角が東海道と矢橋道の分岐点である矢倉の立場です。早駕籠はひとつの駕籠に5人が付き、担ぎ手2名、引き手、押し手、交代要員の分担で、次の宿場までノンストップで行く特急のようなもの。あらかじめ通過時刻や必要な人足の数などを宿場の問屋に連絡しておき、着くやいなや担ぎ手が交代して、リレー形式で進んでいきます。乗り手も振り落とされないように必死で、切手をよく見ると、天井から吊るした命綱にギューッとつかまっている様子が描かれています。この方、よほど火急の用事があったのでしょうね。

ところで、広重が描いた東海道五拾三次の中には、流行りの茶店なども描かれているのですが、なかには現在でも続いているお店があります。「姥が餅屋」もそのひとつで、草津銘菓「うばがもち」として味わうことができます。
切手の舞台を旅して、切手に描かれたものを食べるのは、旅の楽しみがことさらに増える気がしますよね。
 
※1 1997年に「亀山宿」と同時に発行された「保土ヶ谷」は隷書版のため、東海道五拾三次シリーズには含まれていません。保永堂版の「保土ヶ谷」は「草津」と同じ2005年に発行されています。
 

江戸時代へタイムトリップする東海道・草津宿ウォーキングへ!

 
では早速、東海道・草津宿を歩いてみましょう。
最寄はJR東海道本線(琵琶湖線)の草津駅で、ここから南に歩いて隣駅の南草津駅までの約3kmのコース。この距離ならそれほど歩きなれていない人でも挑戦できる距離ですし、一本道ですので迷う心配もなし。手軽に街道歩きにトライできるコースです。
 
まず目指すのは、駅から10分ほどのところにある、東海道と中山道の合流・分岐点である追分道標。駅を東に出て、線路と並行するように走る中山道を南に辿ると、トンネルをくぐった先に追分道標があります。ここで東からくる東海道と合流します。
 
火袋付きの追分道標。草津川の築堤の上に立っています
 
江戸から旅してきたなら、ここで東海道・中山道双方の旅人が合わさり、さらに往来の人が増え、京が間近であることを実感できたでしょうし、京を旅立ったばかりなら、見知らぬ者同士でも道中の無事を祈りあって、分かれ道を進んだのでは、なんて想像が膨らみます。
道標は、1816(文化13)年に街道を往来する人々の寄進によって建てられたもので、「右 東海道いせみち」「左 中仙道みのぢ」と彫られています。
 
道標の向かいには高札場が復元されていて、江戸の風情があふれます

トンネル(隧道)は、滋賀県ではマンポと呼ぶそうです


ところでトンネルと書きましたが、上を通っていたのは道路でも鉄道でもなく、なんと川。2002年に南に付け替えられた草津川は、かつては周囲の家並みより高いところを流れる天井川として知られていました。その天井川化は江戸初期から始まったそうですが、歌川広重の伊勢利版木曽街道六十九次の「草津追分」では、草津川の徒歩渡しが描かれているので、水が多くない限り徒歩で渡ることができ、まだ下をくぐるほど天井化していないようです。
江戸に始まった天井化問題が2000年代に入って解決されるなんて、草津の皆さんはずいぶん長い間、苦労されたんだなぁと思います。
 
川の説明版に、伊勢利版木曽街道六十九次の「草津追分」が載っていました。歩いて渡っていますね

かつての河川跡は「草津川跡地公園de愛ひろば」と名付けられ、市民が憩う公園に生まれ変わっています

「草津川跡地公園de愛ひろば」からは、東海道が一望できます


では東海道歩きへと戻りましょう。
南へ進むとまもなく見えてくるのが、史跡草津宿本陣です。
『東海道宿村大概帳』によれば1843(天保14)年当時、草津宿は東西500m、南北800mほどのL字型をし、大名や公家が休泊する本陣が2軒、本陣に準じる脇本陣が2軒、家来衆や一般の旅人が利用する旅籠72軒があり、問屋場(宿役人が詰め、宿の政務を掌るところ)と貫目改所(荷物の重量を検査するところ)が設けられていました。

2軒あった本陣のうち、「田中九蔵本陣」は明治初期までは残っていましたが、その後解体されて学校用地となり、現在は住宅地になっています。史跡となった「田中七左衛門本陣」は、東海道では唯一ほぼ完全な形で保存されており、宿場の大きさの割に2軒しか本陣がなかった分、その大きさで職務を賄っていた様子が伺えます。
 
幅一間半、奥行き八間半もの、長大な畳廊下。このスケール感には感心しました
(画像提供:草津宿街道交流館)

大規模で、各間取りが良く残っており、本陣の機能を理解しつつ見学することができます。通常、本陣の大きさは建坪200坪前後だそうですが、「田中七左衛門本陣」は468坪を有しいました。さらに私が驚いたのは、畳廊下の長大さ。広い!長い!奥行きどんだけ! 旅をしていると、地方の豪商の邸宅などを観覧することもありますが、なかなかこのスケール感にはお目にかかりません。平常時は襖を入れ、上段の間の場所がわからないようにしていたとのこと。また休泊者が多いときにはここを従者の部屋としても利用したそうです。
 
主客の休泊に使われた、上段の間。皇女和宮が草津宿を通行する際に
行われた大規模修繕の時の部屋がそのまま残されているそうです
(画像提供:草津宿街道交流館)
 

田中家の住居玄関広間・店の間。こうした本陣を支えた人々の暮らしを見られるのも貴重です
(画像提供:草津宿街道交流館)

4棟残る土蔵。うち東側2棟はふとん蔵だったと考えられています。
大勢泊まられるのですから、蔵も必要ですよね(画像提供:草津宿街道交流館)

本陣を支えた、田中家の住居スペースが残されているのも興味深いところ。副業で材木商を営んでいたため、客間や帳場が設けられています。本陣は、大名や公家など貴人専門の休泊施設ですから、旅籠のように常時旅人を泊めていたわけではないんですね。それに、休泊代金は本陣側から請求することはできず下賜と定められていたため、時には赤字になることもあったそう。そもそもその宿で広大な屋敷を持つ有力者が、自宅を本陣として提供するので、田中家はすでに材木商として成功していたということなのでしょう。
181年分の宿泊記録が記載された「大福帳」(草津宿本陣蔵/画像提供:草津宿街道交流館)

各地の大名などの名前が記された「関札」(草津宿本陣蔵/画像提供:草津宿街道交流館)

 
また、貴重な史料も見どころのひとつ。「大福帳」という本陣経営に関わる詳細が記録された台帳は、1692~1874年の183年間のうち181冊が現存しており、日ごとの草津宿の往来者、休泊者の人数や下賜品などを知ることができます。これによれば、草津宿本陣に休泊したのは吉良上野介義央や浅野内匠頭長矩、松平容保、新選組、徳川慶喜、シーボルトなどなど。歴史ドラマなどにたびたび登場するビッグネームが泊っています。
本陣の表門前に掲げて当日の休泊者を示した「関札」は、今でも旅館の玄関に掲出される「歓迎〇〇様御一行」のルーツのようなもの。貴人に失礼の無いよう、行き交う旅人に知らしめていたんですね。こうした長い歴史を物語る史料が豊富に遺されており、草津宿のみならず、宿駅制度そのものについても見識を深めることができます。
 
本陣を後にして東海道を進むと、江戸時代の面影がそこここに。
皇女和宮が将軍に降嫁する際の通行では草津宿で昼食をとった記録が残っているのですが、沿道のお寿司屋さんがハモを使った「はこずし」を用意したエピソードがあり(実際は当日が、近親の忌日で肉食を避ける精進日に当たったため、精進料理に切り替えられ、口にすることはありませんでした)、今でも味わうことができます。「皇女和宮の幻のランチ」なんて、東海道散策にぴったりです。
また、脇本陣跡にはおいしそうなベーカリーも。気になるお店がいっぱいで、楽しみが倍増です。
 
指をくわえて眺めた「はこずし」のショーウィンドウ。次回訪問の際にはぜひいただいてみたいと思います
 
やがて左手に草津宿街道交流館が見えてきます。本陣や草津宿をより詳しく知ることができる施設で、近江国や五街道、草津宿の地図、街並みの模型、旅の道具や道中記などの歴史史料、旅籠の再現コーナーなどが展示されています。また、浮世絵摺り体験コーナー(※現在休止中)や関連図書・オリジナルグッズの販売コーナーもあり、気軽に立ち寄ることができます。草津宿本陣と交流館の共通券を購入した人には、「中山道踏破証」と「草津宿出立・通過証」も発行しています。これをもらったからには、歩かずにはいられませんね。
 
旅籠の賑わいが聞こえてきそうな再現コーナー(画像提供:草津宿街道交流館)

「中山道踏破証」と「草津宿出立・通過証」。街道歩きを趣味としている方なら、
ぜひ手に入れたいアイテムです
(画像提供:草津宿街道交流館)

交流館から先は、また魅惑のゾーン。最中とどら焼きの名店や、太田道灌を祖とする歴史ある酒蔵などが並んでおり、お買い物道中になりそうです。約300mで、多くの旅人が道中安全を祈願したという立木神社へ。1200余年の歴史を持つ古刹で、境内にはかつての追分道標が移設されています。
その先で付け替えられた草津川の橋を渡り、200mほど進むと、いよいよ切手に描かれた場所「名物立場」に到着です。現在は瓢泉堂という瓢箪専門店が建っていますが、角には「右 やばせ道」と書かれた道標が立っています。
 
現在の「名物立場」。風情が違っても、ここが浮世絵に描かれた場所かと思うと、感慨深いものがあります

この「やばせ道(矢橋道)」というのは、琵琶湖の矢橋港までの道で、ここから矢橋の渡しで大津宿に渡ることができます。草津宿から大津宿に行くには、瀬田の唐橋を渡るルートと、この矢橋の渡しを利用して琵琶湖を船で渡るルートがあります。前者は12km、後者は6kmと圧倒的に琵琶湖を渡った方が早いのですが、冬から春にかけては「比叡おろし」という対岸からの向かい風が吹き、漕いでも漕いでも進まない状況になるのだそう。この状況をして「急がば回れ」のことわざができたといいます。ここを右に折れて琵琶湖を渡るなら、春から秋がおすすめということですね。

さてでは、「姥が餅屋」はというと、そのルーツを継承するお店が現在もあり、草津銘菓「うばがもち」として親しまれています。浮世絵に描かれるぐらいですから、当時から人気の一品であることに間違いなし。あんころ餅の一種で、こし餡で餅をくるみ、上にちょこんと白餡と山芋のねりきりが乗り、乳母の乳房を表わしています。その謂れは、織田信長に滅ぼされた佐々木義賢が他に頼る人も無いため、曾孫を乳母に託したところ、その乳母が郷里の草津で餅を作って養育費を稼いで大切に育てたといい、乳母の優しさ、誠実さが評判となり、いつしか「うばがもち」と呼ばれるようになったといいます。場所柄もあり、「瀬田へ廻ろうか矢橋へ下ろか 此処が思索のうばがもち」と言い囃され、口コミがなによりの宣伝であった江戸時代に、瞬く間に大人気商品になりました。
 
小ぶりで食べやすく、餅がとっても柔らか! 徳川家康や松尾芭蕉も
食べたという、元祖・東海道スイーツです
 
私もいただきましたが、上品な甘さと柔らかな餅に乳母の愛を感ぜずにはいられません。餡と餅の調和が見事でくちどけが良く、歩き疲れた体を優しく包んでくれました。昔の人と同じものが食べられる幸せに感謝です。
歩いては食べ、食べては歩きでは、運動になっているかどうかわかりませんが、これこそ街道歩きの楽しみ。ここから約1kmでゴールの南草津駅に到着ですが、行きにチェックしておいたお店でお買い物をしながら草津駅に戻るのもアリかもしれませんね。
 

風景印のお土産も忘れずに!

 

草津宿旧本陣、北斎の軸物 の風景印

今回は草津郵便局から郵頼で風景印(※1)をいただきました。本陣入口を正面左側から描いてあり、その上には広重ではなく、北斎の軸物がデザインされているのですが、これについて、風景印に関する著作を多く持つ古沢保さんの興味深い記事を見つけました。東海道五拾三次切手全55種が発行完了したことを記念した、切手と風景印のコラボレーション企画なのですが…。
 
「さて、ゴールも近くなった「草津」で問題発生。草津局図案の上部はカタログ類では「葛飾北斎の軸物」と書かれており、文通週間(の切手)と合わせると広重と北斎のぜいたくなコラボが完成するはず。ところが北斎の絵が調べても分からない。そこで草津宿街道交流館に問い合わせたところ、学芸員さんから丁寧なお返事をいただきました。掛軸にするような北斎の肉筆画は草津には(彼らが知る限り)存在せず。タッチが北斎っぽくないので、草津を描いた他の絵師の浮世絵も探してみたけれど該当するようなものは見つけられなかったとのことです。ただ学芸員さんが風景印に興味を持ってくれたのが何より。もし真相をご存じの方がいれば、ご教示お願いします。」『郵趣』2019年10月号

 
なるほど、北斎の軸物かどうか、また何という軸物なのか、詳細は分からないということのようです。ちょっと“へたうま”な(失礼ですが)旅人の姿を描いたのはいったい誰なのでしょうか? 私も真相が知りたいです。
 
※1 風景印とは消印の一種で、風景入り通信日付印の略称。大きさは直径36ミリ。郵便局のある地域の名所旧跡や特産品、ランドマークなどが描かれています。手紙やはがきを出すときに、郵便局員さんに「風景印でお願いします」といえば、風景印を押して配達してくれます。また、はがき料金(2021年現在は63円)以上の切手を貼ったはがきや封書、台紙を用意して「風景印の記念押印」をお願いすれば、風景印を押して手元に返してもらえます。これを再び投函・郵送することはできませんが、記念品として手元に残すことができるので、風景印を集めることを趣味としている郵趣家もたくさんいます。
 
***
 
東海道の旅はいかがでしたか? 切手の舞台に到達するまで、いろいろな見どころがありすぎて困るくらいでしたが、旅は出会いが多いほうが楽しいもの。
そして書きながら、切手にはいろいろな切り口があるなぁとしみじみ思いました。今回は切手の料金について触れましたが、印刷の手法や描かれている内容など、興味の対象はいろいろです。鉄道ファンにも乗り鉄、撮り鉄などがあるように、切手のファン層もいろいろに細分化されています。さぁ、あなたはどんな切り口で切手と遊びますか? 次回もお楽しみに。
 
【参考文献】
・『郵趣』2005年10月号 日本郵趣協会発行
・『郵趣』2007年9月号 日本郵趣協会発行
・『郵趣』2019年10月号 日本郵趣協会発行
・『東海道五拾三次江戸のうんちく道中』(切手ビジュアルトラベル・シリーズ) 稲垣進一日本郵趣出版発行 2019年11月
・『ビジュアル日本切手カタログ Vol.1 記念切手編 1894-2000』2刷 日本郵趣協会発行 2016年12月
・『ビジュアル日本切手カタログ Vol.5 記念切手編 2001-2016』 日本郵趣協会発行 2017年2月
・『さくら日本切手カタログ2022年版』日本郵趣協会発行 2021年4月
・『もの知り切手用語集』改訂版第9刷 日本郵趣協会発行 2019年1月
・「国指定史跡 草津宿本陣」史跡草津宿本陣発行 2014年3月
・「びわ湖・草津 観光ガイドマップ びわこくさつ」草津市観光物産協会 2021年3月
・「宿駅散策 近江東海道中絵巻 三 栗東~京三条編」近江歴史回廊推進協議会 2015年9月
・「草津宿本陣 周辺MAP」草津まちづくり株式会社 2021年7月
 
【参考ホームページ】
「一般社団法人 草津市観光物産協会」https://kanko-kusatsu.com/
「草津宿 東海道と中山道が出会うまち」https://www.city.kusatsu.shiga.jp/kusatsujuku/
「滋賀県立琵琶湖博物館」https://www.biwahaku.jp/
「お菓子処 うばがもちや」http://www.ubagamochiya.jp/
「日本郵便 2021年度 切手発行一覧 国際文通週間にちなむ郵便切手」https://www.post.japanpost.jp/kitte/collection/archive/2021/1008_01/0247.pdf
 
【画像提供】
琵琶湖博物館 https://www.biwahaku.jp/
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