切手と遊ぶ発見ミュージアム

切手旅第19回「千葉 御宿」

切手旅第19回の舞台は、千葉県の御宿(おんじゅく)町です。
ご紹介する切手は、1997(平成9)年発行の「わたしの愛唱歌シリーズ」第1集の「月の砂漠」です。
 

「わたしの愛唱歌シリーズ」第1集「月の沙漠」 1997年発行

御宿町ってどんなところ? 

 
千葉県東南部、房総半島の中央部東端に位置する御宿町。チーバくんでいうなら、ちょうど後ろ手にした左手の甲のあたりにあり、人口は7,500人ほど。海岸部は南房総国定公園に指定されています。「御宿(おんじゅく)」という町の名は、鎌倉幕府5代執権の北条時頼が諸国行脚の折に、あまりの景色の良さにこの地に泊まることになり、
「御宿せし そのときよりと人とはば 網代の海に夕影の松」
との歌を詠んだことにちなむといいます。
 
御宿海岸に立つ“ONJYUKU”のモニュメント
画像提供:御宿町産業観光課(撮影:小川いずみ氏)
 
温暖な気候と風光明媚な海岸線の景色、そして東京や神奈川からのアクセスも良いことから、海水浴シーズンはもとより、リゾート地としても人気があります。ビーチバレーやアームレスリングなどの競技も盛んで、夏には大会も開かれています。
 
海岸沿いにはパームツリーが立ち並び、まるで南国に来たよう
 
南国ムード一色なのかと思いきや、御宿海岸の一角で異国情緒を醸しているのが今回の主役でもある「月の砂漠記念像」です。この御宿の海岸は、抒情画家で詩人の加藤まさを(1897-1977)の詩に、童謡作曲家の佐々木すぐる(1892-1966)が曲を付けた唱歌『月の砂漠』の舞台であり、それを記念して1969(昭和44)年に記念碑が建てられました。「♪月の沙漠を、はるばると~」の、どこか物悲しいような、心を震わす詩とメロディーは、誰もが知る名曲。近くには「月の砂漠記念館」もあり、加藤まさをの功績と作品を展示しています。
 
エキゾチックな雰囲気の「月の砂漠記念像」と「月の砂漠記念館」 
 
御宿といえば、海の幸が豊富なことでも知られています。特に海女による漁が有名で、三重の志摩地方、石川県舳倉島と並んで、日本三大海女地帯のひとつに数えられています。
 
「紺がすりに磯パンツ姿、日に焼けたおおらかな笑顔。御宿を語るとき、黒潮に生きるたくましい海女の活躍を見逃すわけにはいきません。
海女たちの仕事は、5月中旬から9月中旬までの4か月間が勝負。この時期、海女たちは1日に約6時間ほど潜水中心の作業を行い、アワビやサザエ、ワカメなど、海の幸を採ります。1回の潜水を“いっぽん”といい、約2時間このいっぽんを繰り返すことを“ひとっぺり”と呼びます。このひとっぺりを平均で1日3回、つまり“みっぺり”繰り返すのですから、たいへんな作業です。海女たちの活躍は、ひたむきに働く御宿の人々の代名詞といっても過言ではないでしょう。」(『1985御宿町勢要覧』より)
 
残念ながら全国的に海女の減少は続いており、1970年代には御宿町に400~500人もいたという海女は今ではひとりもいないそうです。しかし海の幸の宝庫であることには変わりありません。町内の岩和田漁港には伊勢えびやアワビ、キンメダイなど、旅の目的となりえる高級食材が水揚げされ、旅人を喜ばせています。
 
御宿町広報誌『おんじゅく』第97号(1971年)の表紙に、当時の海女さんの姿が載っていました
 
アワビの漁期は7月~9月。今年の夏のグルメ旅にいかがですか?
(画像提供:御宿町産業観光課)
 
さて、かつて活躍したこの海女たちが一役買ったとされる出来事が、1609年に起きたサン・フランシスコ号沈没事故です。スペインの前フィリピン総督ドン・ロドリゴ・デ・ビベロが乗船する船が、嵐により岩和田村(※1)の田尻海岸に座礁、沈没したのです。村民は総動員して救助に当たり、乗組員をその肌で温めて暖を取らせたのが、地元の海女さんだったと伝えられています。きっと、母に抱かれるような安心感を覚えたのではないでしょうか。村民の尽力により、乗組員373人のうち317人の命が救われました。この事故がきっかけで、日本とスペイン、メキシコ(当時はスペイン領ヌエバ・エスパーニャ)の直接交流が生まれ、その記念と感謝のしるしとして1928年に建てられたのが「日西墨三国交通発祥記念之碑(メキシコ記念塔)」です。2009年には日本メキシコ交流400年周年の式典も盛大に開かれました。
 
日西墨三国交通発祥記念之碑とメキシコ彫刻界の巨匠ラファエル・ゲレロ氏の「抱擁」像
(画像提供:御宿町産業観光課)
 
ドン・ロドリコ総督が上陸した田尻海岸。ダイナミックな風景ですね
(画像提供:御宿町産業観光課)
 

海と時を越えて、御宿とスペイン・メキシコの交流が続いているなんて、ちょっと嬉しいですね。アラビアの荒涼とした沙漠の雰囲気から、スペイン・メキシコのアミーゴな陽気さまで、御宿はさまざまな顔を持った町なのです。

※1 岩和田村は1889年に浪花村に合併、さらに1955年に御宿町に合併。

 

「わたしの愛唱歌シリーズ」ができるまで

 
「わたしの愛唱歌シリーズ」は1997~99年に掛けて発行された全9集のシリーズ切手です。これは1996~97年に発行された「戦後50年メモリアルシリーズ」と同様に、題材を一般公募した切手シリーズでした。
投票の対象となる曲は、それぞれが愛唱歌として親しんでいる曲とし、歌謡曲・文部省唱歌・童謡などのジャンルは問わず、幅広く受け付けました。応募期間は1997年3月14日~4月25日、応募方法は郵便局に配布された「投票用紙」に50円切手を貼り(または官製はがきでも可)、ジャンル別に計3曲までの愛唱歌を記載して郵送するというもの。「なかなか楽しい企画だ」と、収集家はもちろん一般の人の注目も浴び、途中で投票期間が2週間延長されて5月9日が最終締め切りとなりました。その後、5月27日に「わたしの愛唱歌シリーズ題材選考委員会」が開催、6月に発行計画を発表、10月以降順次発行と、発表されました。
 
「わたしの愛唱歌シリーズ」全9集・18曲 (『郵趣』1997年11月号より)
 
1集に2種(=2曲)ずつの発行で、9集で18曲の愛唱歌。どれもタイトルを聞けばメロディーが浮かぶ曲ばかりです。小さい頃に歌った童謡から、カラオケで十八番にしている人も多かろう歌謡曲まで、バラエティーに富んでいるところこそ“わたしの愛唱歌”という感じがします。応募総数は約5万4000通で、「戦後50年メモリアルシリーズ」の約1万7000通を3倍も上回りました。応募の男女比は4:6、最多応募年代層は30代後半から40代前半とのことですが、どの曲にどれだけ票が入ったかのランキングは発表されていません。
予定では6月だった発行計画発表が大幅にずれ込み、9月中旬になったことについては、当時の郵政省郵務局切手文通振興室長補佐の吉田利行氏へのインタビューが『切手』2328号に掲載されていました。
 
「本誌―「わたしの愛唱歌切手アンケート」募集のさい、このシリーズ切手の発行計画は平成9年6月報道発表の予定である旨の周知がされましたが、予定より相当期間延びてしまった理由は何ですか。
 
吉田―デザイン決定までの手続き等の関係から、特殊切手などで時期がずれてしまうものもあるんです。というのはシリーズものの場合、全体のイメージや方針を固めておかないといけません。その他画を書いてくださる方とか今回の場合切手図案に曲目が入ったり、詩が入ったりするので数が多ければ多いほど調整が当然必要となってくるわけです。単独であればそれなりの時間でいいのですが、数が多いと全部について著作権とかの整理に手間どることになるわけで、この調整のために多くの時間をさかなければなりません。第1集の「いい日旅立ち」と「月の沙漠」だけであればこの2曲のみがクリアーできればよいわけですが、全体の計画を併せて発表するためには18曲全部がクリアしていなければできないため予想以上に時間がかかったということです。それともうひとつは季節感と発行の時期(順番)についても苦労しました。どの題材曲目を一番はじめに出した方がお客様によろこばれるか、シリーズを盛り上げていけるかということもあり、結果的に今回「いい日旅立ち」をこのシリーズのスタートとしました。こういったことから時間がかかったということでしょうか。」『切手』より
 
同じく第1集として発行された「いい日旅立ち」。
ホームにたたずむ旅立ち前の女性が描かれています
 
今でも、権利関係をクリアしていくことは、切手発行の上で大きな課題だと聞きますが、この時も大変にご苦労された様子がうかがえますね。
18曲の選曲については、『郵趣』1997年11月号で、おもしろい記事を見つけました。NHKのアンケートと照らし合わせて、「わたしの愛唱歌シリーズ」の選曲が妥当かどうか検証しています。
 
「ほぼ同じ時期にNHKが行っていたアンケート「1000万投票BS20世紀日本のうた」の中間発表データ(7月24日現在、総投票数322万1785通)をみると、総合トップ20の中に「川の流れのように」(シリーズ8集)が1位、2位には「いい日旅立ち」(同1集)、また「上を向いて歩こう」(同9集)も13位に入っている。「わたしの愛唱歌シリーズ」も、上位2曲はしっかり押さえているわけで、他のアンケートと比べても、まずは納得のいく選曲といえる。」(『郵趣』より)
 

NHKの投票とも1位2位が重なっていて、一般の人気ランキングと乖離していませんし、それでいて作者などに偏りもなく季節感にも配慮され、歌詞に寄り添うような図案があわさっています。投票した方にとっては、結果はまだかしらとヤキモキしたかもしれませんが、鼻歌まじりにお手紙をかいてしまいそうな、楽しい切手シリーズだと思います。

 

さてそこで今回の主役「月の沙漠」の切手を見てみましょう。
 
「わたしの愛唱歌シリーズ」第1集の「月の沙漠」 1997年発行
 
発行は1997(平成9)年10月24日、額面は80円、5色刷りグラビア印刷で2,000万枚作られました。切手の意匠は、おぼろに煙る三日月に照らされ、ラクダに乗った王子と王女が砂漠の中を進んでいくところを描いたとされ、原画は「月の沙漠」を作詞した加藤まさを自身の作品です。
大正中期から昭和前期にかけて活躍した加藤まさをは、竹久夢二・蕗谷虹児と並んで「抒情画三羽烏」と呼ばれて人気を博した、抒情画家で詩人です。「月の沙漠」は1923(大正12)年に『少女倶楽部』3月号に発表した、詩と挿絵の作品。これに若手作曲家の佐々木すぐるが曲を付け、当初は童謡として親しまれていました。その後ラジオで放送されたのをきっかけに評判となり、松島詩子(当時は柳井はるみ名義)の歌唱でレコード化され、広く知られるようになりました。
月夜の美しいブルーを基調に、王子様とお姫様が砂漠をゆく姿が描かれた切手ですが、この原稿を書いていたら、主任学芸員が耳寄りな情報を教えてくれました。この切手の原画は弥生美術館の所蔵となっており、原画と切手では月の位置が違うというのです。翌日、弥生美術館で買い求めたという原画の絵葉書を手に、「ほら、月の位置が違うでしょ」と、主任学芸員。
 
切手原画の絵葉書(弥生美術館)
 
切手と見比べてみると、確かに月がずいぶん低い位置になっています。おそらく切手のサイズに収めるために月の位置をずらしたのでしょう。切手をデザインする際には、こうして構成アイテムの位置をずらすことがあると、現役の切手デザイナーから聞いたことがあったので、至極納得。絵はがきの裏を見ると、「加藤まさを画 「月の砂漠をはるばると」『少女の友』昭和3年4月号口絵原画 紙・水彩」と印刷されていました。
切手に採用された絵は、当初1923年に発表された際の挿絵ではなく、改めて1928(昭和3)年に描かれたものだったんですね。当初の挿絵はどんな絵だったのか、ぜひ一度見てみたいと思います。
 

月の沙漠をそぞろ歩き、名曲の世界に浸るひととき
海の幸に舌鼓も忘れずに!

 
それでは月の沙漠の散策へと参りましょう。
御宿の海岸散策ならば暖かい時期が良いのでしょうが、私が訪ねたのは昨年末でした。しかし、夏は海水浴客でおおいに賑わうため、「月の沙漠」の世界観に浸るなら、結果としてちょうど良い時期でした。
東京駅から特急に乗り、約80分で御宿駅に到着。駅舎にも駅前の観光案内所にも「月の沙漠記念像」のシルエットが配されていて、切手の舞台にやってきたなぁと実感しながら旅を始めます。海岸方面へと進んでいくと、徐々にパームツリーが増えてきて、南国ムードが高まっていきます。
 
沙漠の中を駱駝が行く光景にしか見えません!
 
最初に向かったのは、御宿のシンボルともいえる「月の沙漠記念像」。スッキリと雲ひとつない青空のもと、駱駝に乗った王子様とお姫様の姿(の像)を発見したときは、ちょっと感動してしまいました。月の代わりに太陽が煌めいていましたが、千葉から遠くアラビアあたりへとトリップした気分です。
 
「月の沙漠」  加藤まさを作詩
  月の沙漠を、はるばると 旅の駱駝がゆきました。
  金と銀との鞍置いて、 二つならんでゆきました。
  金の鞍には銀の甕、 銀の鞍には金の甕。
  二つの甕は、それぞれに 紐で結んでありました。
  さきの鞍には王子様、 あとの鞍にはお姫様。
  乗った二人は、おそろいの 白い上着を着てました。
  曠い沙漠をひとすじに、 二人はどこへゆくのでしょう。
  朧にけぶる月の夜を 対の駱駝はとぼとぼと。
  砂丘を越えてゆきました。 黙って、越えてゆきました。
            (『加藤まさを抒情詩画集』より)
 
歌の世界に迷い込みつつ、記念像を見上げると、思っていたよりもずっと幼さを残した顔の二人。なんとなく大人の男女の姿をイメージしていましたが、それでは王様と王女様になってしまうのか、と一人合点。「月夜に二人で、いったいどこからどこへ行くのかしら…」と気になるところですが、加藤まさを自身もいろいろと質問されていたようで、
 
「この像について一番面白い質問を受けたのは、「王子様とお姫様はそれからどこへ行ったのですか」というのだった。学校の女学生の一団で質問したのはそのクラスの級長だった。これには困って「僕も知らないんです。貴嬢も一緒に考えてください。」と答えた。
この「月の沙漠」ではさまざまな質問をされてまごまごする。「この砂丘はもっと大きくって、ずっと先まで続いていたのです。そして高くなったり低くなったりしてちょうど沙漠みたいになっていたんです」と言うと、「では駱駝はどうして出てくるんですか?」とくる。「だって、馬では西部劇になってしまうし、牛では牧場になってしまうでしょう。ここでは、どうしても駱駝が欲しいんです。それもひと瘤駱駝が欲しいんです。」と答えると、「どうしてひと瘤駱駝が欲しいんですか?」とくる。「ひと瘤でないと東洋の沙漠の感じが出てしまって駄目なんです。試みに、あなたがここに立ってもっと広い砂丘を眺めていてごらんなさい。きっと連想するのはひと瘤駱駝ですよ。」」(『加藤まさを抒情詩画集』より)
 
質問攻めに四苦八苦する加藤の様子が目に浮かびますね。子供でもイメージしやすく、インスピレーションを掻き立てる歌詞だからこその難点かもしれません。
と、ここで気が付いたのですが、記念像では王子様が先に立っていますが、切手ではお姫様が先に立っているようです。「切手に描かれた光景がそのまま見られます」と書くつもりでいたのですが、もしかすると二人の位置は逆かもしれません。このことについてもあれこれ調べてみましたが時間切れで、わからないままでした。どなたかご存じでしたらご教示ください。
 
さて、「月の沙漠」を口ずさみながら、「月の沙漠記念館」を目指します。
 
王宮をイメージしたという外観はロマンチックで、抒情画家の加藤まさを氏の雰囲気にぴったり
 
「月の沙漠記念館」は、加藤まさをの功績を讃え、その作品を収集・保管・展示することを目的にふるさと創生事業によって建設されました。1階は町ゆかりの文化人などの作品を紹介する「企画展示室」、2階は「大正ロマンコーナー」や「加藤まさを展示室」があり、加藤の作品や来歴を展示解説しています。
 
愁いを帯びたまなざしの少女の絵と、その心を表現した数々の作品が展示されています
(画像提供:御宿町産業観光課)
 
加藤まさをが活躍した時代をイメージさせる大正ロマンコーナー
(画像提供:御宿町産業観光課)
 
加藤まさをは20歳代のころ、結核の療養でこの御宿をたびたび訪れていました。1923(大正12)年の関東大震災までの数年間御宿に通い、その間に「月の沙漠」の着想を得たとされています(※)。この療養中に、蟹捕りなどして仲良くなった少年・内山保が、40数年を経て御宿町の商工会長となり、1967年に加藤に手紙を送って交流が再開し、やがて記念像建造の賛同を願うに至りました。
 
記念館に飾られた加藤まさをと奥様の写真。晩年、加藤まさをは御宿に移り住み、この地で亡くなりました
(画像提供:御宿町産業観光課)
 
書斎が復元されており、愛用の遺品が展示されています(画像提供:御宿町産業観光課)
 
彫刻は、加藤まさをと同郷の彫刻家・竹田京一が引き受けましたが、ここからが大変だったようです。アラビアに滞在経験のある朝日新聞社の本多勝一をアドバイザーに迎え、駱駝の姿かたちや鞍の取り付け具合、沙漠の様子など、細かに意見をもらいながら製作を進めていったようですが、そのやりとりがなかなかに面白いのです。
歌詞中にある“朧にけぶる月”については、沙漠ではものすごい砂嵐の時にしか、月が朧にけぶる夜など無いとか、モデルにする駱駝の性別について動物園では牡の駱駝の方が立派で良いだろうと言われたと竹田が訊くと、本多は牡の駱駝なんかに乗ったら王子様もお姫様も振り落とされてしまう、牡は気が荒くて使い物にならないから乗用の駱駝は牝に限られている、と応えます。さらには、金銀の甕など飛んでもない、中の水が煮たって使い物にならない、そして金銀の鞍では王子様もお姫様もお尻をやけどしてしまう、などなど。さすが本当の沙漠を知っている人の意見です。しかし本多勝一は、
 
「そんな『本当のサバク』のことなんか、どうだっていい。月のサバクの歌は、当時の日本人の心の奥底にあった夢を、美しく、具象的に表現したのである。だからこそ、この歌はいつまでも人気があるのだ。私たちは現実のサバクを知ったあとでも、やはり“月のサバク”の歌に心ひかれるだろう。どこか知らないが、そんなサバクがきっとあるに違いない。本当はないんだが、あるに違いない」(『加藤まさを抒情詩画集』より)
 
と断言しています。私も読みながら、「きっとある!」と頷いてしまいました。私は敦煌の鳴沙山しか沙漠を知らないので、その沙漠をイメージしていたのですが、こうしていろいろわかってくると、確かに敦煌の駱駝はふた瘤でしたし東洋の沙漠なんだなと実感。いつかはアラビアの沙漠を訪ね、ひと瘤駱駝に乗って「月の沙漠」を歌いたいものです。
 
太陽煌めく浜辺は、冬でも躍動する若者でいっぱいでした
 
「月の沙漠」の歌詞と記念像にまつわる様々な逸話を知り、すっかり「月の沙漠」マニアになった気分で、記念館を後にしました。せっかくですから、加藤が親しんだ浜を歩いてみました。昔は数メートルの高さの起伏があり、本当に沙漠のようだったそうですが、今はいたってなだらか。運動部の合宿の生徒がランニングをしている姿があちこちに見え、溌溂とした明るい風情に満ちています。
と、ちょうど正午を知らせる町内放送が聞こえてきました。これも「月の沙漠」のメロディーです。この町とこの歌は、切っても切り離せない関係のようです。
 
さて、散策のあとはお決まりの腹ごしらえの時間。御宿といえばやはり海の幸!と向かったのは駅前の観光協会で教えてもらった町のお寿司屋さん。迷った末にランチセットにしたのですが、今になって「地物寿し」が正解だったと知りました。伊勢えびや蒸鮑、地魚の握りなどが付くそうです。
 
サラダや茶わん蒸し、汁物もついたランチセットも十分に美味でした
 
そう、御宿は伊勢えび、アワビ、キンメダイの宝庫。春や秋には特価での直売などが楽しめるお祭りも開催しています(現在はコロナ禍のため中止)。また、この春(~3/31)は、町内の宿泊施設に泊まると、夕食に伊勢えびの鬼殻焼き、アワビ、キンメダイのうち好みの2品がプレゼントされるイベントを実施しているとのこと。各地のお祭りがコロナの影響で中止となり寂しい限りですが、たっぷりと地元の味を楽しませてくれるサービスは大歓迎ですよね。
 
秋には「伊勢えび祭り」が開催され、伊勢えび汁の無料配布やつかみ取り、直売会などが行われます。
今年は開催できるのか、気になるところです(画像提供:御宿町産業観光課)
 
キンメダイは、3月に「釣りキンメ祭り」が開催(2022年は中止)。
キンメダイを数量限定で特別価格直売します(画像提供:御宿町産業観光課)
 
月夜に御宿に泊まれば、あの「月の沙漠」の光景にもしかしたら出会えるかもしれません。淡い期待とわがままな食欲を胸に、今度は泊りで訪ねようと誓いました。
 
※ 「月の沙漠」の舞台には、千葉県御宿海岸のほかに、加藤の生まれ故郷の近くにある、静岡県焼津市の吉永海岸であるとする説もあります。
 

風景印のお土産も忘れずに!

 
海女、サザエ、月の沙漠記念像、日・西・墨三国交通発祥記念碑の風景印
 
今回は昨年末の訪問時に、御宿郵便局で風景印の記念押印をいただいてきました。御宿駅から月の沙漠記念館へと向かう道中にあり、立ち寄りやすい立地です。
今回ご紹介した見どころがオールスター揃ったような風景印で、旅の記念にぴったりです。実は、実際に風景印をいただくまで印面を知らずにいたため、受け取ってから海女さんの大胆な図案にちょっと驚きました。その後、昼食に入ったお寿司屋さんにもモノクロ写真の海女さんの観光ポスターが貼られていて、やはり同じ姿。ああ、御宿の海女さんって日常的にはこんなスタイルだったんだなぁと知ることになりました。これで問題にならないほど、当時の御宿はおおらかだったともいえますね。
 
※ 風景印とは消印の一種で、風景入り通信日付印の略称。大きさは直径36ミリ。郵便局のある地域の名所旧跡や特産品、ランドマークなどが描かれています。手紙やはがきを出すときに、郵便局員さんに「風景印でお願いします」といえば、風景印を押して配達してくれます。また、はがき料金(2022年現在は63円)以上の切手を貼ったはがきや封書、台紙を用意して「風景印の記念押印」をお願いすれば、風景印を押して手元に返してもらえます。これを再び投函・郵送することはできませんが、記念品として手元に残すことができるので、風景印を集めることを趣味としている郵趣家もたくさんいます。
 
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昨年末に訪ねたショートトリップの御宿をご紹介しました。今回は相棒に歌が加わり、より彩り豊かな旅でした。口ずさめるものがあると、なんだか足取りが軽くなります。しかし心残りは伊勢えび、アワビ、キンメダイ(笑)。再訪できる日が待ち遠しいです。
次回から切手旅は奇数月更新となります。5月にお目にかかりましょう。
 
【参考文献】
・『郵趣』1997年6月号 日本郵趣協会発行
・『郵趣』1997年11月号 日本郵趣協会発行
・『郵趣ウィークリー』1997年3月21日 日本郵趣協会発行 
・『郵趣ウィークリー』1997年5月9日 日本郵趣協会発行 
・『郵趣ウィークリー』1997年9月26日 日本郵趣協会発行 
・『切手』2328号 郵便文化振興協会発行 1997年10月4日
・『加藤まさを抒情詩画集』加藤まさを 御宿町・月の沙漠記念館 2006年6月 
・「月の沙漠記念館」パンフレット 御宿町
・「おんじゅく食道まっぷ」御宿町観光協会
・「御宿の四季おさんぽマップ 冬・春」御宿町役場
 
【参考ホームページ】
一般社団法人 御宿町観光協会 https://onjuku-kankou.com/
公益社団法人 千葉県観光物産協会 https://maruchiba.jp/index.html
御宿町「おんじゅくデジタルアーカイブス」https://www.town.onjuku.chiba.jp/sub5/6/6/
・「1985御宿町勢要覧」(合併30周年記念) 千葉県御宿町 1985年3月
・御宿町広報誌『おんじゅく』第97号 1971年6月
 
【写真協力】
御宿町産業観光課
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