切手と遊ぶ発見ミュージアム

切手旅第22回「宇治の日本茶」

切手旅第22回の舞台は京都府宇治市です。
ご紹介する切手は、1991(平成3)年発行の「日本茶800年」です。
 

「日本茶800年記念」切手(1991年発行)

宇治市ってどんなところ? 

 
京都・宇治といえば、みなさんは何を思い浮かべますか。10円玉に描かれている平等院? 宇治茶? それとも源氏物語? いずれも京都を旅する目的になり得る有名どころで、観光資源が豊富であることがわかります。
宇治市は京都府南部に位置し、人口は約18万。京都市や城陽市、宇治田原町、滋賀県の大津市などと隣接した府内第二の都市です。私は宇治と聞くとまず、電車の車窓から見る宇治川の風景を思い浮かべます。琵琶湖から流れ出る唯一の河川で、滋賀県内では瀬田川、宇治市内に入ると宇治川に、そして大阪で淀川と名前を変え、大阪湾にそそいでいます。
 
いつ訪れても滔々と流れる宇治川。この日はよく晴れて、宇治川の川風が爽快でした
 
その宇治川に渡された宇治橋は、なんと646(大化2)年に掛けられたとされ、「瀬田の唐橋」と「山崎橋」と共に、日本三古橋のひとつに数えられています。急流の宇治川に橋が架けられたおかげで、宇治は奈良と京都、東国を結ぶ交通の要衝として発展していきます。また、平安時代には藤原氏の荘園や別業(別荘)がさかんに営まれ、豊かな自然美が貴族の心を慰めました。
 

第一次動植物国宝切手シリーズより「平等院鳳凰堂」1950年発行


平等院鳳凰堂は、藤原道長の別業地跡を寺院に改めたもの。定朝作の丈六阿弥陀如来坐像を本尊とし、その宮殿である極楽の宝楼閣を模した鳳凰堂は、末法思想の流行とあいまって、現世での極楽浄土として広く信仰を集めました。雅やかで壮麗な雰囲気で、いつ訪れてもゆったりと旅人を迎えてくれる気がします。
 
宇治川のたもとには紫式部像があります
 
一方で、なんとなく寂しい印象がある、という方もいらっしゃるかもしれません。それは『源氏物語』の宇治十帖のせいではないでしょうか。『源氏物語』全58巻のうち、光源氏の死後、子の薫と孫の匂宮を主人公とした最後の10巻を指したもので、それまでの光源氏をめぐる宮中の華やかな人間模様に比べ、宇治を舞台に男女の心の機微に焦点を当てた終焉の物語です。終始根底には嫌世感や結ばれない想いなどがあり、前半の煌めきこそ源氏物語!という方にはなじまないかもしれませんが、「宇治十帖が一番好き」という根強いファンも多くいらっしゃいます。
 

切手趣味週間「源氏物語絵巻 宿木(やどりぎ)」1964年発行

「宇治十帖」の舞台となった場所には、「宇治十帖古跡」の石碑が立てられています(写真協力:宇治市)
 
かく言う私も、紫式部が残した問題提起のようにも思える宇治十帖は、人間関係もシンプルで読みやすく、それだけにそれぞれの個性が際立ち、いっときかなりハマった覚えがあります。
この源氏物語をテーマにした「宇治市源氏物語ミュージアム」は1998年に開館し、『源氏物語』に関する写本などの史料の収集、保管等を行っています。長くて読んだことがない、という方でもわかりやすく物語の世界に親しめる展示が魅力です。
 
秋は紅葉に包まれる宇治市源氏物語ミュージアム(写真協力:宇治市)

ここで物語にひたってから宇治を歩くのもおすすめです(写真協力:宇治市)

 
自然と文化が程よく調和した宇治の街を歩くと、あちこちに老舗らしい店構えのお茶屋さんが見られます。今回の旅の主役でもある宇治茶のお店です。お茶の香りに惹かれ、ショーウインドーに並ぶ抹茶スイーツに魅せられて、何度も足が止まってしまうのもまた、宇治旅の楽しみのひとつです。
宇治がお茶どころとなるきっかけは、1191年に臨済宗の開祖として知られる栄西禅師が、宋から茶の種と栽培・製造方法を持ち帰ったことによります。その種を譲り受けた栂尾・高山寺の明恵上人が、宇治の里人に栽培方法を教え、宇治茶の生産が始まりました。宇治はすでに別業が多く営まれ、貴顕が住まう地として発展し、その嗜好を満足させようと商人が努力する風土が育っていたこと、さらに水運・陸運に恵まれた立地、川霧が立ち昼夜の温度差のある気候と土壌など、すべてがお茶の栽培・流通に適していたため、一大産業として発展していきます。

風格ある店構えに「茶」の字が並ぶ老舗は、フォトスポットしても人気です

豊臣秀吉の故事にちなんで行われる、宇治茶まつりの「名水汲上げの儀」(写真協力:宇治市)
 
こうした歴史・文化をひとつのストーリーとして有機的に発信していくために、文化庁が認定する「日本遺産(Japan Heritage)」(※1)の第1号として、2015年には「日本茶800年の歴史散歩」が登録されています。また、毎年10月上旬には「宇治茶まつり」が開催され、栄西禅師、明恵上人、茶道の始祖・千利休の三恩人の遺徳を偲んで、名水汲上げの儀、茶壷口切の儀、茶壷の茶詰めなどの儀式を通じて、宇治茶の魅力を伝えています。
 
絢爛豪華な平等院や、王朝絵巻を垣間見る宇治市源氏物語ミュージアム、馥郁たる香りの宇治茶と目にも楽しいスイーツに舌鼓。そしてそれらを包みこむ、宇治川に架かる橋の風情と四季の彩りの美しさ、鵜飼や茶まつりなどの風物詩…。京都市内の密な空気感ではなく、さりとて田舎の中の歴史街というのでもない、ほどよい風雅さが楽しめるのが宇治の旅の良さといえるかもしれません。
紅葉に映える朝霧橋。都人がここに別荘を構えた気持ちがよくわかる絶景です(写真協力:宇治市)
 
「宇治灯り絵巻」の様子。宇治川の鵜飼がより幻想的に見えます(写真協力:宇治市)
 
※1 「日本遺産(Japan Heritage)」とは、文化庁が認定する、地域の歴史的魅力や特色を通じて、我が国の文化・伝統を語るストーリーのこと。ストーリーに関わる有形・無形の様々な文化財群を地域が主体となって総合的に整備・活用し、日本だけでなく海外へも戦略的に発信することで地域の活性化を図ることを目的としています。
 

「日本茶800年記念」の切手ができるまで

 
先にご紹介したように、お茶の歴史は1191年に栄西禅師がお茶の種や栽培・製造方法、喫茶法を宋から持ち帰ったことによります。ですが、実は栄西禅師は中興の祖。その前史を紐解いてみましょう。
最初にお茶が日本にもたらされたのは、平安時代初期のこと。記録によれば「805年に最澄が唐から持ち帰った茶の種を滋賀県大津市にある日吉神社に植えた」あるいは「806年に空海が同じく唐から茶の種と石臼を持ち帰り、比叡山と奈良県宇陀市榛原の仏隆寺に植えた」のが始まりとされています。また『日本書紀』には815年に嵯峨天皇にお茶が献じられたことが記されています。しかしこの時のお茶の飲み方は、蒸して丸めて乾かした固形茶を飲むたびに切り取り、焙って砕いて煎じて飲むというスタイルで、現在のようなものではありませんでした。
 
奈良・宇陀の仏隆寺。春には千年桜が咲き、花見客でにぎわいます。
空海が持ち帰ったとされる石臼が保存され、境内には「大和茶発祥伝承地碑」が建てられています
 
その後、1191年に栄西禅師が、宋から茶の種と栽培・製造方法をもたらします。これが散茶、いわゆる抹茶の喫茶法です。そして栄西禅師は“茶は養生の仙薬なり。延命の妙術なり”ではじまる、日本最初のお茶の専門書『喫茶養生記』を記して、その種類や喫茶の仕方、栽培方法などを説きました。そして栄西禅師が茶の種を託した、もうひとりの中興の祖が明恵上人です。明恵上人はお茶の栽培技術を、宇治をはじめ伊勢や静岡など全国各地に広め、茶栽培を産業として成り立たせました。
この栄西禅師が茶をもたらした1191年からちょうど800年の記念に発行されたのが、今回の主役「日本茶800年記念」切手です。
 

「日本茶800年記念」切手(1991年発行)

発行日は1991年10月31日、62円1種でオフセット印刷、赤味黄・黄緑・暗い黄緑・鈍い緑・暗い黄茶の5色刷で、1600万枚発行されました。お茶の濃淡を思わせる美しい緑のグラデーションの地に、なめらかなフォルムの水瓶と茶碗、茶筅、そしてお茶の花が描かれています。切手の意匠は報道資料によると、
 
「茶器とお茶の花を描いたもので、切手に描かれている茶器は、栄西を開祖として、京都に建立された建仁寺に所蔵されており、毎年、同寺院において、栄西の誕生日に催される四ツ頭茶会に使われる茶器を元に描かれています。」
 
 
とあります。四ツ頭茶会とは、栄西禅師の誕生日である4月20日に建仁寺で毎年行われる四頭茶会(よつがしらちゃかい)のことで、茶道の原型とされる古式に則った禅宗式のお茶会です。元々は栄西禅師の命日である6月5日の開山忌の食事儀礼の一部だったそうですが、戦後、誕生日を祝う降誕会にあわせて四頭茶会として一般公開をしたのが始まりといいます。特別にお招きした客人のためのお茶であることから特為茶とされ、天目台と天目茶碗を使用する格式の高い茶会です。
名前の由来は、4人の正客(頭)が各6人の相伴客を連れ、計28名が方丈の四辺に着座することに因みます。4人の僧があらかじめ抹茶の粉を入れた天目茶碗と菓子盆を配り、給仕役の僧が茶筅と浄瓶を持って入り、正客には胡跪(こき、左立膝の姿勢)で、相伴客には中腰のまま、お点前を行います。この時の天目茶碗と茶筅と浄瓶が切手に描かれているわけですが、実際には茶筅を浄瓶の口に挿すという独特な作法で行われます。

浄瓶の口に茶筅を挿して運ぶ、四頭茶会の独特な作法(写真協力:建仁寺)
左立膝を突いて、お茶を点てます。なかなか安定せず点てにくそうにみえますが、
実際はどうなのか、気になります(写真協力:建仁寺)
 
かつて茶道を習ってはいましたが、このような古式に則った茶会の作法はまったく知らなかったので、初めて写真で拝見したときには、ギョッとしてしまいました。知らないことがたくさんあるものだと、切手旅毎度のことながら眼からウロコが落ちました。
今回、「日本茶800年記念」の切手原画を作るにあたっての詳細な資料は見つけられなかったのですが、おそらく切手の構図を考える時に、この作法通りに茶筅を浄瓶の口に挿した様子も検討したのではないかと思います。しかし作法を知らない人にはあまりにも驚かれてしまうであろうと考慮し、この構図に落ち着いたのではないかなと想像しています。来年こそはこの古式ゆかしい四頭茶会が再開されるよう、コロナの収束を祈るばかりです。
 
さて、その原画を描いたのはデザイナー・渡辺三郎氏です。デザイナーといっても一般の方ではなく、元郵政省切手デザイン室の主任技芸官で、戦後の日本切手デザインの方向性を定め牽引した中心的な人物です。1946年に逓信省に入省し、在職34年を経て1980年に退職したのちは、図案委嘱者として切手原画を描き続けていました。代表作は、1964年発行の「第18回オリンピック競技大会記念切手」をはじめ、国宝シリーズやSLシリーズ、船シリーズ、相撲絵シリーズなど。切手旅では、第2回にご紹介した国際文通週間切手「日本橋」が渡辺氏のデザインです。
 

 

多岐にわたる切手制作の秘話は数知れずあり、本人が語る逸話も残されています。1998年5月13日付の『日本経済新聞』に掲載された「時代刻み切手意匠半世紀 ◇現役最年長、138点のデザイン担当◇ 渡辺三郎」より、一部をご紹介しましょう。
 
「この七月で八十歳になる私は半世紀以上、切手の図案を作製し続けてきた現役最年長の切手デザイナーである。一九四六年に当時の通信省技芸官としてスタートしてから、八〇年の退官後も今日まで切手図案委嘱者としてかかわってきた。(中略)
切手の原画は、通常縦横六倍の大きさで作製する。このため作業中に凹面レンズは欠かせない。常に縮小されたときの出来上がり画面をレンズで確認しながら進めていく。(中略)
切手のデザインは必ずしも一人で担当するとは限らず、四―五人で競作することが多い。このため一番大事なのはアイデア、ということになる。特に記念切手などはどれだけそのテーマに合い、時代の空気も伝え、かつざん新か、ということが要求される。切手自体が小さいので図柄は大胆であるほうがよい。アイデアが固まり、図案が出来上がるまで一週間はかかる。デザインが正確であることも当然で、スケッチブックを抱えての取材旅行はしょっちゅうだ。(中略)
最近で思い出深いのは九三年の皇太子殿下御成婚記念切手である。この時初めて皇族方のお姿のデザイン化が認められた。私は思いきってお二人の顔写真をそのまま使い、小型シートの背景に瑞雲と青海波をあしらった。
戦後五十年を通じて、切手作製の基本的な部分はずっと変わらずに続けてきたが、やはり時代の空気を切手の小さな空間に吹き込むことが一番大切に思う。その意味では最近は大胆なデザインで耳目を集めるより、しっとりした図案を心がけている。日本社会が右肩上がりから、いい意味で成熟の時代にあることを切手の窓から示せれば幸いである。」
 
この言葉を受けて、改めて「日本茶800年記念」切手を見てみると、一見オーソドックスな、遊び要素の少ない切手のようにも思えますが、日本社会が成熟し、渡辺氏も円熟期に入り、そして日本茶800年の歴史、四頭茶会の荘厳さ、宇治茶の深き香りと味わい、それらすべてを濃密に重なり合わせるように作られた切手に見えてきます。まるでお抹茶で一服する時のような、満ち足りた心の余裕が感じられて、渡辺氏の言う、まさに「しっとりとした図案」なのではないでしょうか。「奥深さのある切手」とはこういうことかと、感じ入る一枚です。
 

抹茶挽き体験や作陶も楽しめる! 日本茶800年の歴史をたどるお茶旅へ出発

 
「夏も近づく八十八夜♪」を口ずさみながら、宇治を訪ねたのは4月の終わり。テーマを「お茶旅」にしたものの、久しぶりの宇治は見たいものがたくさんあり、旅程をどう組むかとても悩みましたが、日本遺産「日本茶800年」のストーリーにのっとり、まずは黄檗山萬福寺へ向かいました。
 
創建当初の明朝様式を残した主要建造物23棟などが重要文化財にしていされています(写真協力:宇治市)
 
萬福寺は1661年に隠元隆琦禅師が開創した日本三禅宗のひとつ、黄檗宗の大本山です。学生時代以来2度目の訪問でしたが、早起きした甲斐あって境内は人影まばらでシンと静まり、中国式の建築意匠が取り入れられた堂塔の合間を歩いていると、ふと中国を訪ねたような気がしてきます。かつての旅人もそう感じたようで、三門前に建つ石碑にはこんな俳句が彫られています。
「山門を 出れば日本ぞ 茶摘みうた」
山口県の女流俳人・田上菊舎が萬福寺を訪れた際に「まるで中国にいるかのような境内から、一歩山門を出たら茶摘み歌が聞こえてきて、ああ日本だったんだ」と我に返った様子を詠んだ句です。
 
旅をしていると場所や時を飛び越えた気がすることがありますよね。そんな心境を詠んだとても共感できる句だと思います
 
黄檗宗では今も読経を中国明代の発音で行うため、耳馴染んだ日本の読経とはまるで違います。どんな感じなんだろうと思っていたら、回廊の柱に読経の様子を録画したYouTubeにつながる三次元コードが貼られており、「梵唄(ぼんばい)」を聞くことができました。この先進的な配慮、とても感心してしまいました。
ところで隠元禅師といえばインゲン豆を伝えたことで有名ですが、実は他にも様々な文物を日本に紹介しています。
 
「隠元禅師と黄檗文化
 隠元禅師とともに伝来した中国の先進文化は、建築、文学、音楽、書道、絵画、彫刻、さらに印刷、医学、飲食に至るまで多岐にわたり、これらは「黄檗文化」と呼ばれています。インゲン豆・スイカ・レンコン・ナス・タケノコ(孟宗竹)・落花生といった新しい食材、煎茶やダイニングテーブルを使った食事形態、明朝体文字や400字詰め原稿用紙、木版印刷など、江戸期の町人文化の基となり、現在の日本人があたりまえに使用しているモノが伝えられました。」
(「黄檗山萬福寺」拝観パンフレットより)
 
 
文中にある煎茶とは、お茶を煎じて飲むという黄檗宗から生まれた新しい作法で、新鮮な茶葉を鉄釜で煎り、茶罐に入れて熱湯を注いで飲みます。茶葉の発酵や酸化を防止し、元来の味や成分を保つことができる、明代の福建発祥の新しい方法が隠元禅師を通じて日本に伝わり、やがて煎茶道として確立していきました。
またその煎茶による儀式の後に、「お茶だけでは物足りなかろう」という僧の配慮から生まれた「普茶料理」も有名です。前述した建仁寺の四頭茶会のお茶が高貴な人に献じる「特為茶」なのに対して、「普茶」とは普(あまね)く人々が共にするお茶を指し、「普茶料理」は貴賤の差無く、共に食事をする相手や食材に対して感謝の思いが込められた中国風の精進料理です。予約をすれば、誰でもいただくことができるので、次回の訪問時には大切な仲間と味わいたいと思っています。
 
さて、このようにお茶に縁のある萬福寺ですが、「日本茶800年」の歴史スポットは門前にあります。中興の祖である明恵上人が、宇治の里人に栽培方法を教えた場所で、宇治茶発祥の地として「駒蹄影園碑」が建てられています。
 
萬福寺総門前に建っているので、見落とさないように気をつけてくださいね
 
「駒蹄影園碑(こまのあしかげえんひ)
鎌倉時代の初めごろ、宇治の里人たちが茶の種の蒔き方がわからず困っているところへ、通りかかった栂尾高山寺の明恵上人が馬を畑に乗り入れ、その蹄の跡に種を蒔くように教えたと伝えられています。この碑は、明恵上人への感謝とその功績を顕彰するため、大正15年(1926)に宇治郡茶業組合により建立されたものです。
 
 栂山の 尾上の茶の木 分け植えて 迹ぞ生うべし 駒の足影  明恵」(「駒蹄影園碑」解説板)
 
お茶の種は地中に埋めるように蒔くといいますから、馬の蹄の跡に種を蒔くとちょうど良さそうです。ここから日々親しむ日本茶の800年の歴史が始まったと思うと感慨深く、思わず手を合わせました。
 
黄檗駅からJR奈良線に乗り、宇治川を渡って宇治駅へ向かいます。
宇治駅には巨大な茶壷型のポストが鎮座しています。切手の博物館学芸員なら、常にはがきと切手は常備すべし! なのかもしれませんが、落ちこぼれの私は生憎の丸腰。切手旅にお出かけになる皆さんはぜひお手紙を用意して、茶壷ポスト投函も楽しんでみては?
 
宇治市制施行50周年記念に建てられた、茶壷型ポスト。一緒に記念撮影している人も多く見られました
 
この茶壷にはモデルがあり、宇治茶の老舗「堀井七茗園」に代々伝わる高麗青磁の壷だそう。今も店内に飾られていて、茶壷を見ながらお抹茶をいただくこともできます。老舗のお茶屋さんと聞くと敷居が高そうですが、お茶室や喫茶店を備えているところも多いので、気負わず暖簾をくぐってみましょう。
 
JR宇治駅から宇治橋通りや県通り、平等院表参道にはお茶屋さんが並び、なかには風格ある建物も残っており、いよいよ本場に来たぞ!とテンションが上がります。ここで「日本茶800年の歴史散歩ストーリー」を改めてご紹介しますと、
 
「お茶が中国から日本に伝えられて以降、京都・南山城は、お茶の生産技術を向上させ、茶の湯に使用される「抹茶」、今日広く飲まれている「煎茶」、高級茶として世界的に広く知られる「玉露」を生み出した。
この地域は、約800年間にわたり最高級の多種多様なお茶を作り続け、日本の特徴的文化である茶道など、我が国の喫茶文化の展開を生産、製茶面からリードし、発展をとげてきた歴史と、その発展段階毎の景観を残しつつ今に伝える独特で美しい茶畑、茶問屋、茶まつりなどの代表例が優良な状態で揃って残っている唯一の場所である。」(「日本遺産」ホームページより)
 
 
とし、京都府南部の8市町村(宇治市、城陽市、八幡市、京田辺市、木津川市、宇治田原町、和束町、南山城村)にあるお茶関連の文化財によって、日本茶800年の歴史をストーリー化しています。文化財は5つの時代順に分けられており、40の文化財が宇治市内をはじめ近隣市町村に点在しているので、エリアや時代のポイントを絞って巡るのが良さそうです。
 
 <「日本茶800年の歴史散歩」の時代区分>
  其の一 宇治茶の始まり…鎌倉時代
  其の二 宇治茶の確立と初期の景観~抹茶の誕生~…室町・戦国・江戸時代初期
  其の三 煎茶・玉露の誕生と新しい景観…江戸時代前期~中期・後期
  其の四 宇治茶の近代景観…幕末~昭和
  其の五 宇治茶、お茶文化の継承への取組…現在
 
山の上まで茶畑が広がる、和束町石寺の茶畑風景(写真提供:和束町)

写真を見ているだけで心がスッキリしそうな和束町白栖(長井)の茶畑(写真提供:和束町)

 
こちらは京都府の南端にある和束町の茶畑の風景。京都府のお茶の生産量の半分を占める主産地で、特に煎茶は山吹色に輝く色と深いコクで知られています。日本茶800年のストーリーでは其の四にあたり、明治期に生糸と並んで煎茶の輸出が盛んになったため、あちこちで山の斜面まで開墾されていきました。和束町石寺などでは山腹のみならず山頂まで「山なり開墾」が施され、天まで届くような独特の横畝模様の茶畑景観が形成されました。
この素晴らしい眺望は「生業の景観」として京都府景観資産登録第一号に指定され、また京都府選定文化的景観にも選定されています。今回は宇治市がメインの旅ですが、もっとディープなお茶旅をせねばと思えてくる絶景です。お茶屋さんめぐりも良いですが、茶畑をのんびりと眺めるひとときにも憧れます。時間に余裕のある方は、ぜひ和束町にも足を運んでみてくださいね。
 
さて、宇治橋通りを進んで宇治橋を渡り、京阪宇治駅の脇を通り、2021年10月にグランドオープンした宇治川畔の「お茶と宇治のまち歴史公園 茶づな」を訪ねます。公園内には豊臣秀吉が行った土木・治水遺跡「宇治川太閤堤跡」があり、史跡ゾーンの北側は復元整備され宇治川護岸として太閤堤が機能していた安土桃山時代の様子を、南側は太閤堤が宇治川の氾濫により砂に埋もれ、その後に茶園が営まれた江戸末期から明治初期の様子を再現しています。
 
散策前に「お茶と宇治のまち歴史公園 茶づな」立ち寄れば、その後のお茶旅の理解がぐんと深まります

400m以上の長大な護岸遺構が発見され、2009年に国史跡に指定されました
 
宇治茶といえば、茶園全体に覆いをかぶせることで、渋み成分のタンニン生成を抑え、旨み成分のテアニン生成を促進させる覆下茶園が有名です。これにより宇治茶は、抹茶の原料の碾茶や玉露などの最高級茶葉として知られるようになりました。覆下茶園の景観は、宇治の初夏の風物詩として安土桃山時代から親しまれてきた伝統の栽培法なのです。公園内には、江戸時代末期から明治初期に行われていた風景を再現した古式茶園もあります。覆下の中でも伝統的な「本葦栽培」が行われるエリアがあり、ちょうど訪ねた日が「藁振り」の日でした。
現在、茶園を覆うのは化学繊維の黒い寒冷紗が主流ですが、かつては茶園の上に丸太杭と竹で棚を作り、葦簀(よしず)を広げて藁を敷いて覆っていました。1年に1回、半日ほどの作業だそうで、運よく屋根に乗ってパラパラと藁をまく姿を見ることができました。上から重しをするわけでもないのに、風で飛んだりしないのかと心配になりますが、ランダムにまかれた藁が絡まり合って、意外にもしっかりとした覆いになるそう。太陽が真上に来た時にしか日の光が差さず、よく考えられています。この伝統的な本葦栽培は、茶園全体の1割ほどで継承されているそうです。
 
手前の黒い覆いが寒冷紗、奥の茶色い覆いが本葦です。ちょうど新旧の覆いを見比べることができました

棚も昔ながらの丸太と竹で組んであります。昔はこうして覆っていたんですね

眺めていたら、職人さんが中に入れてくれました。なるほど、ほどよく日が遮られています
 
貴重な本葦栽培の作業風景を見ることができ、得した気分で交流館を訪ねます。宇治茶の歴史や文化を紹介するミュージアムやショップ、お茶にまつわる体験ができる体験室、レストランなどを備えていて、楽しく宇治茶を学ぶことができます。思えばこうしたお茶について学べる中核的な施設が今までなかったのが不思議なくらい。近隣の店舗や名所の案内情報もあり、お茶旅のスタートにピッタリの施設です。
 
お茶の種類や歴史、お茶屋さんの仕事の様子、新茶を宇治から江戸まで
運んだお茶壷道中のことなど、お茶のいろいろが学べるミュージアム(写真提供:茶づな)
 
近隣のお店の紹介カードが下げられており、行きたいところのカードを持ってお店を訪ねることができます
 
茶畑と太閤堤跡を望む体験室。20ほどの体験プログラムがあり、気軽に参加することができます
 
レストランもあり、ランチやお茶ができます。私はお昼に「にしん茶そば」をいただきました
 
体験ワークショップ好きの私は、「茶臼から抹茶づくり体験」と「宇治の窯元による京焼手びねり体験」のふたつの体験に参加しました。まずは抹茶づくり体験です。体験室に通されると、まずは市販のお抹茶でもてなされつつ、宇治茶のあらましを映像で学びます。この市販のお抹茶を先に味わうことで、これから自分で挽いた抹茶との味わいの違いを体感することができる仕組みです。
一人ひとつ石臼があてがわれ、碾茶を挽いて抹茶を作ります。石臼で挽くと“つぶす”“やぶく”“たたく”の作用が同時に効き、顕微鏡で拡大すると金平糖のような形の粒子となり、これが抹茶独特の美しい輝きをもたらすといいます。
 
美しく輝く抹茶の粉。自分で挽くのは初めてで、この後の試飲がとっても楽しみです
 
「ゴーリゴリゴリ、ゴーリゴリゴリ…」
ご一緒したお客さんとインストラクターさんとで、おしゃべりをしながら、お茶を挽きます。よく暇なことを「お茶を挽く」といいますが、のんびりゆったりとした心持ちで、お茶を挽くところからティータイムをはじめる優雅さに、あぁ今なんて贅沢してるんだろう!と嬉しさがこみ上げます。
挽き上がった抹茶は棗にあけて、茶杓で茶碗に入れて点てます。茶道の経験がなくても「手首を柔らかく力を入れずに茶筅を動かして~」など、美味しくお茶を点てるコツも教えてくれるので、誰でも気負わずお抹茶に親しめます。ダマが気になるときは、最初に少量の水を入れて、照りが出るまでよく混ぜると滑らかになるそう。そうして点てた挽きたて抹茶は、市販のものに比べると濃厚だけどあっさりとして、口当たりが軽い印象。なかなか挽きたてを飲む機会はないので、ぜひ試してほしい味わいです。
 
「フレッシュ」というのが一番近い感想。はじめに飲んだ市販のお茶の時とは違うお茶菓子が付くのも嬉しいポイントです
 
午後は京焼の手びねりに挑戦です。手びねりというと縄文土器しか作ったことがない私に、茶の湯の隆盛に伴って発展したという洗練された京焼ができるでしょうか。一抹の不安を抱える私に、宇治の炭山という山間の京焼の村で作陶しているという職人さんが丁寧に手ほどきをしてくれます。
粘土の塊をひも状にして、ドーナツを輪積みするように成形していきます
 
体験前までは、家でお抹茶を飲むための茶碗を作ろうと思っていたのですが、なぜか途中で食べ盛りの息子のための大きめの飯碗に方向転換してしまいました。ビアカップや茶碗など直接口を当てるものは、口縁部を薄くしないと使いにくいとのことで、もっと薄く、もっと薄く、とアドバイスをもらいながら仕上げていきます。乾燥させて焼き上げて、手元に届くのは一ヵ月後。キレイなブルーのお茶碗が届きました。思っていたよりずっと素敵にできて、もっといろいろ作りたくなります。お皿や酒器など何を作っても構わないし、釉薬も4色から選べます。宇治訪問の思い出に、作陶にチャレンジしてみるのもおもしろいですよ!
 
キレイな光沢のあるブルーの釉薬を選んだのですが、イメージ通りの出来上がりでした
 
たっぷりとお茶に親しんだ後は、宇治上神社と宇治神社を訪ねます。両方とも世界遺産に登録される古社で、明治時代までは二社一体で「離宮上社」と呼ばれていました。宇治川の向かいに来世空間である平等院が建立された際に、地主神である菟道稚郎子命(うじのわきいらつこ)をこの世の守り神として祀ったのがはじまりとされます。お茶旅ポイントとして見逃せないのは、宇治上神社の境内に湧く「桐原水」。かつて茶の栽培に欠かせない湧水として知られた宇治七名水のひとつ「桐原水」が湧いています(ほかの名水はすでに枯れてしまっています)。一方、宇治神社の宮司さんは、宇治茶まつりの名水汲み上げの儀を奉仕しています。
 
平安時代後期に建てられた本殿は我が国最古の神社建築です(写真協力:宇治市)
 
また二社の先にある興聖寺は紅葉の名所としても知られ、同じく宇治茶まつりでは茶壷口切の儀と、茶筅塚供養の儀を行ないます。宇治に点在する古社寺がそれぞれに宇治茶に関わり、その伝統と文化を継承していることがわかりますね。
 
お茶旅の最後は、住宅街の中にひっそりと残る「奥ノ山」茶園です。鎌倉時代に始まったお茶栽培は、15世紀頃になると将軍家の評価を受け、日本一の茶として名を馳せるようになりました。将軍家や管領家は良質な茶葉専用の茶園「宇治七名園」を設け、高級茶を栽培させましたが、このうち唯一現存するのが「奥ノ山」茶園です。郊外に行けば大規模な茶園が見られますが、こうした歴史ある茶園がひっそりと残されているのも宇治らしい風情だと思います。
 
こんなところに七名園があるのかしら?と思うような住宅街のなかにありました
 
さて、朝から駆け足でお茶の歴史をたどってきて、もうクタクタ。そろそろ抹茶スイーツでひと休みしよう、と目を付けていたお茶屋さん併設のティールームへ。が!なんと17時で閉店。慌ててほかのお店に走るも、ほとんどのお店が17時閉店なのでした。これは痛恨のミス!宇治で一日過ごしておきながら、抹茶スイーツを食べずに帰るなんて! 膝の力が抜け、ふらふらと駅へ向かう私…。皆さん、抹茶スイーツは程よき時間に、ちゃんと時間を取って堪能するようにしましょうね。
 
宇治名物の「茶だんご」。なんとかこれだけは手に入れて、自宅で美味しくいただきました
 

宇治と宇治茶にまつわる風景印

 
今回は3局から風景印を郵頼してみました。
 
宇治橋、国宝・平等院、茶の花が描かれた宇治郵便局の風景印
 
宇治茶摘み、重文・黄檗山萬福寺山門が描かれた宇治木幡郵便局の風景印
 
宇治の記念にひとつだけ、というなら宇治局の王道的風景印がおすすめですが、お茶旅なら宇治木幡局も捨てがたいところ。「お茶摘みさん」がお茶を摘む姿を見物するのは安土桃山時代からの初夏の風物詩だそう。豊臣秀吉も見物に訪れたといいますから、お茶摘みの時期にあわせてお茶旅をするのが良いかもしれません。イベントなどで茶摘み体験の募集をしていることもあるので、興味のある方は事前のチェックをお忘れなく。
 
国宝・宇治上神社拝殿、地名・菟道の由来のウサギが描かれた宇治菟道郵便局の風景印
 
こちらはウサギが目を惹く宇治菟道郵便局の風景印。ウサギの道と書いて菟道(とどう)と読みますが、かつてはこの字で「うじ」と読み、宇治上神社の祭神である菟道稚郎子命(うじのわきいらつこ)が道に迷った際、ウサギが道案内をしたことに因むといわれています。宇治上神社の境内にはあちこちにウサギの像が置かれており、おみくじもかわいいウサギでした。「こちらですよ」と道案内をするウサギの雰囲気が良く出ている風景印で、かわいいですよね。
 
※ 風景印とは消印の一種で、風景入り通信日付印の略称。大きさは直径36ミリ。郵便局のある地域の名所旧跡や特産品、ランドマークなどが描かれています。手紙やはがきを出すときに、郵便局員さんに「風景印でお願いします」といえば、風景印を押して配達してくれます。また、はがき料金(2022年現在は63円)以上の切手を貼ったはがきや封書、台紙を用意して「風景印の記念押印」をお願いすれば、風景印を押して手元に返してもらえます。これを再び投函・郵送することはできませんが、記念品として手元に残すことができるので、風景印を集めることを趣味としている郵趣家もたくさんいます。
 
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免疫力アップやダイエット効果など、お茶の効能が謳われるようになって久しいですが、ドタバタな一日の合間のお茶には、ほっと一息つく癒し効果がありますよね。茶づなのインストラクターさんが「喉が乾いたらペットボトルのお茶を、心が乾いたら急須のお茶を」とおっしゃっていましたが、疲れたなぁというときは、お気に入りのお茶を入れる心の余裕を持ちたいと思います。皆さんも切手旅を読みながら、ステキなティータイムを過ごしていただけたらうれしいです。
 
【参考文献】
・『郵趣』1991年11月号 日本郵趣協会発行
・『郵趣』1995年12月号 日本郵趣協会発行
・『スタンプマガジン』1991年11月号 日本郵趣協会発行
・『切手』2018号 全日本郵便切手普及協会発行 1991年10月26日
・報道資料「日本茶800年記念郵便切手の発行について」郵政省 1991年9月26日
・『風景印大百科 1931-2017 西日本編』日本郵趣出版発行 2017年5月
・『奈良のチカラ』 多田みのり著 現代旅行研究所発行 2007年4月
・「時代刻み切手意匠半世紀 ◇現役最年長、138点のデザイン担当◇ 渡辺三郎」『日本経済新聞』1998年5月13日
・「日本遺産 日本茶八百年の歴史散歩~京都・山城~」パンフレット お茶の京都DMO発行
・「UJI CITY 時を越えて、今も昔も。京都宇治」パンフレット 2021年11月
・「ことりっぷ 宇治」宇治市観光振興課発行 2022年3月
・「宇治イラスト・マップ」公益社団法人宇治市観光協会発行 2020年3月
・「お茶と宇治のまち歴史公園 茶づな」パンフレット
・「国指定史跡 宇治川太閤堤跡」宇治市歴史まちづくり推進課発行 2021年3月
・「和束 茶源郷マップ」和束町地域力推進課発行 2018年11月
・「茶源郷 和束」和束町発行
・「黄檗宗大本山萬福寺」拝観パンフレット
 
【参考ホームページ】
宇治市歴史的風致維持向上計画 https://www.city.uji.kyoto.jp/soshiki/88/6367.html
公益社団法人宇治市観光協会 https://www.kyoto-uji-kankou.or.jp/
お茶と宇治のまち歴史公園 https://uji-chazuna.kyoto/
日本遺産ポータルサイト https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/
世界遺産宇治上神社 https://ujikamijinja.amebaownd.com/
黄檗宗大本山萬福寺 https://www.obakusan.or.jp/
大本山建仁寺 https://www.kenninji.jp/
Japan Tea Action http://japanteaaction.jp/
お茶百科 http://www.ocha.tv/
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